我が郷土の道は古墳時代にはあった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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山口県下関市大字福江の旧北浦街道は昔から変わらず存在した。この道は本州西端の北浦海岸唯一の道路であり、この航空写真の上(北)には船越と呼ばれる地峡があり、この道が唯一不変のルートであることは証明されている。

この街道に沿って古墳が隣接して存在する。すなわち、各古墳はこの道を利用して築造され、当地の首長を埋葬、祭祀したことになる。つまり、この街道は古墳時代には存在したことが、これで証明される。

ちなみに、右手(東)の農免道路は昭和40年代、左手(西、写真の外側)の国道191号線は明治時代に開通した。

著者の本音では、さらに遡り、縄文時代から弥生時代にも存在し、日本列島にやって来た渡来人達、例えば応神天皇はこの道を歩いたと確信している。その傍証として、八貫古墳からは天皇陵からしか出土しないと言う金環が出たと言われている。中世には源平合戦の武士達、明治維新の時期には中山忠光卿が通られた。

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赤丸: 1 天神古墳(前方後円墳)、2 八貫古墳(円墳)、3 長仙古墳(円墳)、青線: 旧北浦街道、右手白線: 農免道路


参考

① 古代の官道はもっと昔からあった(参考)


② 福江八幡宮と長仙古墳(参考)


③ 明治13年の旧北浦街道(参考)