長門城の最有力候補、下関市の鬼ケ城山 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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草場山から東方の鬼ケ城山

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鬼ケ城山

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鬼ケ城山あたりは、花崗岩(ピンク色)の地質では無い


参考

① 鬼ケ城山には長門城らしき跡はあるが、朝鮮式山城の特徴とされる大野城の様な土塁や石垣が無いので、学術的に結論に至っていない(参考)


② 井上佑「長門城は幻―実地踏査による地形的考察」(下関郷土会『郷土』50号2007年)(参考)

ーー朝鮮式山城に拘り過ぎた為の誤った結論ーー

鬼ヶ城には数多くの石組みが在る。これが長門城説に繋がっていった。豊浦町史編纂委員会が鬼ヶ城に長門城の調査団として現地調査を行い、小田富士雄先生(福岡大名誉教授)も踏査に登られたが、未だ結論は出ない。

筆者は鬼ヶ城(標高六二〇メートル)から狩音山(五七七メートル)の間の西側(海側)の谷と尾根を全て歩き、中腹の谷筋の海抜三〇〇から四〇〇メートル付近に計十二基の石組を確認した。これは石垣ではなく、石塁である。従って、長門城ではなく、元寇、弘安の役後の第三次の元寇に備えた防塁で、山城になる。この十二基の石塁の位置を、GPS(全地球測位システム)を使用して特定した。


③ 長門城の候補として、火の山、唐櫃山、四王司山などがあり、前2山は非花崗岩質で、四王司山は花崗岩質であった。しかし、山城などの特徴を持った遺跡は無い。


④ 白村江の戦い敗戦後の山城全てが籠城を考慮した亡命百済人の指導の山城では無かった。日本オリジナルの技術で作られた(参考)