長府と赤間関を結ぶ長府道、黄色丸が関山あたり
青線が旧山陽道(亀山八幡宮下が起終点、高潮時は御裳裾川を北上するルートも考えられ、海峡沿いの海岸ルートが開発されるより以前の道か!)、赤線が長府道、黄線が北浦街道(永福寺が北浦街道と旧山陽道の起終点との説がある)
住吉神社の和布刈神事の為の本来のルートは住吉神社から南下し、関山あたりを経由して御裳裾川沿いに下る道となろう。
『豊府志略』によると、長府毛利三代目藩主毛利綱元(1653―1706)は、前田茶臼山に山荘をつくり、外浦からの道をつけており、少しくだって寛保2年(1742)9月、有馬喜惣太が萩本藩主毛利宗広の御国廻りに随行して歩いた旧壇之浦から阿弥陀寺への道は、すでに現在の国道9号線の原型をなしていた(参考)。
参考
① 赤間関
② 下関市の古地図(参考)
③ 永福寺前の北浦街道と旧山陽道の起終点
④ 亀山八幡宮前の旧山陽道の起終点
山陽道の西の起点・石の道標が、八幡宮鳥居下に移されて来ています。この道標は、本来はここから1㌔西の観音崎(現在の永福寺の階段下辺り)にあったようです。この寺の下から、山陰(北浦街道)・山陽道が分岐し、西の起点となる一里塚となっていたのです(参考)
⑤ 火の山南山麓の旧山陽道の現在の痕跡
壇之浦から前田まで
海岸沿いの国道9号線(明治以降)より、海抜の高いところに旧山陽道がある。
⑥ 火の山山麓の海岸沿いは高潮の怖れがあるが、土砂崩れの怖れもあった。旧山陽道の前田から壇之浦は幹線道とはならなかったと推測される。