番所の鼻、門司区田野浦 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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小倉藩が関門海峡を通過する船、人、物を監視した。また小倉藩の殿様が参覲交代や藩内見回りの際に、ここから上陸した。

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〒801-0803 福岡県北九州市門司区田野浦2丁目14-4の付近

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中央、田野浦、聖山北端

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中央、田野浦

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田野浦あたりから対岸の火の山山麓にある旧山陽道の人の行き来も見える。特に、夜間、松明の灯りを持った往来人は容易に見つけられる。


参考



② 功山寺の決起で晋作が野久留米街道から旧山陽道を走って行くと、対岸の番所の鼻から発見される可能性がある(参考)


③ 1950年の埋め立て築港前の田野浦

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