現在の唐戸あたりは戦後、再開発された! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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幕末の商人入江和作の邸宅跡地や、その後、同じ場所に建てられた金子みすゞが勤めた商品館跡地があった辺り、すなわち現在の西の端バス停のある県道57号とサンデンの旧電車道は空襲を受けた後に再開発で出来たようだ!

戦前の道路とサンデンの旧電車道は下関市役所の北端をクランク状に曲がっていた!


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下関市役所北端の西方向(戦前の電車道)

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下関市役所北端の北方向、県道57号(戦後の電車道)

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幕末の入江和作邸跡地(右上)

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大正8年頃、金子みすゞの商品館(右上)、城山に現下関市役所がある。



参考

① 唐戸と東駅を結ぶ県道57号の今昔

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2016年(平成28年)現在、サンデンの電車は廃止されている

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1950年(昭和25年)、サンデン電車の道は関門海峡沿い(下関駅方面と長府方面)と、唐戸から東駅方向に北上する。県道57号と電車道は直進する様に再開発されている。

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1930年(昭和5年)、サンデン電車の道は唐戸を中心に長府方面と東駅方面にある。ただし、東駅方面は下関市役所あたりでクランク状に曲がっていた!

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1920年(大正9年)、サンデン電車は開通していない。


② サンデンの電車

③ 戦前の唐戸(旧赤間関)あたり(参考)


④ 戦後の空襲を受けた唐戸(旧赤間関)あたり(参考)


⑤ 唐戸(旧赤間関)あたり(参考)


⑥ 名古屋の100メートル道路(参考)