壇具川の川端、下関市長府 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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川端

壇具川も水添橋のあたりから、いちだんとその美しさが増してくる。長府の見どころのひとつといえよう。

ときおり、橋の下で洗濯物をすすいでいる人がいて、このところ久しく見なかった情景だけに、心がなごむ思いであった。


川端の石の橋

この川筋には石の橋が、ここともうひとつある。石の桁の上に横に石を並べてあるこの橋は、現在ではもう、貴重な部類に入れなければならないのであろう。

歩くとコトコト、石の当る音がする。石の橋と、そのむこうに続く石の段々、左右の土塀からにじみ出てくる暖かい色合い。この物質文明の時代にあって、なお、金で購うことのできない大切なものを、この雰囲気のなかに感じる。

(古舘充臣 長府の四季より)(彦島のけしきより)


参考

① 壇具川

長府の歴史と共に流れ続けている壇具川は、清流に錦鯉が泳ぎ、初夏の夜はホタルが飛びかい「ほたるの里」として人々に散策をさそう

流れに沿い、山手に進むと壇具橋、宮路橋、水添橋、川中橋、川上橋さらに両山橋へと至る橋の左手は笑山寺、右手には功山寺があり二つの毛利家菩提寺が今も静寂さを保ち、城下町の由緒を物語っている


壇具川の名称は神功皇后が三韓鎮治のときに、この豊浦の地(長府)で祭壇を築き天神地祇を祭りその祭壇に用いた道具を流した川ということからその名が付いたと伝えられる。昔は祭事が終わると、その都度祭具を川に流したと言う。その祭壇を築いた場所(忌宮神社正面一帯)を「壇の上」といいその地名が伝えられている


平成五年三月 長府観光協会


下関市長府惣社町2付近



② 壇具川の石の橋、水添橋


下関市長府川端2丁目1付近