つい最近まで、関門海峡は浅かった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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以下の写真を見れば、関門海峡の浅さが良く理解出来る。

岬之町桟橋から江の浦への途中のハネ石(羽根石)(現在赤間神宮の竜宮石となっている)

触雷沈没した千曲丸 (左手前は関門鉄道連絡船)

大和町の沖之州埋立中(昭和31年) 昭和19年には写真右端に桟橋は移された

(澤忠宏 関門海峡渡船史より)(彦島のけしきより)


参考

① 大正9年(1920年)の地図で白の所は砂州であり、現在の大和町・東大和町あたりは沖之州と呼ばれていた。

1920年(大正9年) 赤丸: 羽根石


③ 浚渫作業