小門海峡の平家伝説、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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小門海峡の平家伝説

源平合戦で平家の根拠地となった彦島は、さすがに平家滅亡の哀史 にからんだ伝説が多く、小門海峡にのぞむ「身投げ石」「きぬかけ石」の悲話も、平家伝説の代表的なものである。

この小瀬戸をはさんで、伊崎の方を小門と書き、彦島側は小戸と書いて使いわけているが、どちらも「おど」と呼んでいる。

小戸は川のような海峡の中でひときわ目をひく美しい場所であり、よく茂った木立ちを背景にいくつもの巨巌が吃立し、奇岩の下には、底しれぬ青さをたたえた不気味な淵がゆったりと渦を巻き、神秘的なあやしいたたずまいを見せていて、悲劇の伝説の地にふさわしい雰囲気であるが、地形的にみて、彦島老ノ山北側の山かげにあたるため、目にふれる機会が少なく、小門海峡を通過する人のみが知っているくらいである。

「身投げ石」「きぬかけ石」は壇ノ浦合戦に討死した平家武将の妻が、夫を追慕するあまり、この石に衣をかけ、淵に向かって身を投げたという伝説であるが、冨田義弘著「彦島の民話」によると、土地の古老の話では大岩は六つあり、いちばん東側の岩が身投げ石、次が身投げ岩、三番目がきぬかけ石、四番目がきぬかけ岩で、それぞれ異なった伝説があり、五番目が菩薩石、六番目が地蔵岩というのだそうである。

また滅亡した平家武士が平家蟹となり、平家の官女がコベケ(コマコーダイ)という小鯛になった伝説もあり、そのきれいな小鯛が小門海峡に多いという。

その昔、風光明眉なこの瀬戸で夜、漁船にかがり火を焚き、魚をとって船上で客にもてなす優雅な遊びがはやり、小門の夜焚(よたき)として有名であったが、時勢とともにすたれてしまったのは惜しいかぎりである。

小門海峡には、今日もエンジンの音高らかに大型漁船がしきりに出入しているが、そうしたにぎわいをよそに、身投げ岩を取巻く深淵は相変らずひっそりと暗くよどんでおり、岩上にたたずむ白衣観音の眠想的な姿がひときわ印象的であった。


(下関とその周辺 ふるさとの道より)(彦島のけしきより)


参考

① きぬかけ岩、佛の瀬(参考)


② 小門の夜炊き(参考)


③ 平家蟹と小平家(参考)