東行庵と谷玉仙師、下関市吉田 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

東行庵

(写真集「あんぐる下関」より(昭和52年))(彦島のけしきより)


参考

① 「東行庵中興の祖」谷玉仙は、昭和21年(1946年)に庵主となり、昭和41年(1966年)に高杉晋作百年祭記念事業の一環として東行記念館を開設。晋作の墓所の整備や遺品の保存、奇兵隊および諸隊士顕彰墓地の開設の他、教育・福祉にも尽力しました(参考)。



② 東行庵と梅(参考)



③ 高杉晋作先生百年祭



高杉晋作が没してから100年が経った昭和41年に百年祭が行われた。写真の看板によると4月13日から17日の会期で、多彩な催しが行われた。〈吉田·昭和41年·提供= 吉岡一生氏〉



④ 東行記念館



記念館は昭和41年4月14日、百年祭の記念事業のひとつとして、全国からの有志による寄付で建設されたものである。以後、高杉晋作の遺品を中核として展示、保存している。〈吉田·昭和41年·提供 =吉岡一生氏〉


(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)



⑤ 三代目庵主谷玉仙尼 



昭和41年、高杉晋作100年祭で造営された東行池で、いかだに乗る3代目庵主谷玉仙尼。昭和21年から庵主となり、東行庵の振興に尽力した人として知られる。〈吉田·昭和40年代,提供= 東行庵〉


1963年(昭和38年)


1975年(昭和50年)



⑥ 東行忌



慶応3 (1867) 年4月14日没した、維新の英傑·高杉晋作(東行)の墓前祭で、毎年4月14日、しめやかにとり行われる。墓碑には「東行墓」と刻まれている。晋作が名乗った「東行」とは「東へ行き江戸幕府を倒す」という意。〈吉田·昭和61年·提供=下関市〉



⑦ 山懸有朋公銅像



東行庵の前身は山懸有朋の住居であった無隣庵で、晋作の菩提を弔うため後に梅処尼に贈った。


その後も東行庵を支える一人として尽力した。その遺徳を偲んで昭和11年に銅像が建設された。写真は除幕式のようすで山騒の養孫である有道が挨拶を行っている。


金属類回収令によって昭和18年、国に供出されたが、平成27年に再び建立されている。〈吉田·昭和11年,提供=東行庵〉


(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)