杉山春さんのお話しは、
実際の取材した事件を丁寧に説明することで、
SOSが届かない状況を浮き彫りにしていった。
杉山春さんの著作「ネグレクトー育児放棄真奈ちゃんはなぜ死んだか」(小学館文庫)
~第11回 小学館ノンフィクション大賞受賞作~
![]() | ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか (小学館文庫) 596円 Amazon |
を私はまだ読んでいないが、お話しはこうだった。
2000年、児童虐待防止法が出来て半年もたたないうちに愛知県で起こった3歳児餓死事件。
なんの知識もないままに取材に入って、
NPO法人CAPNA(キャプナ)http://capna.jp/の弁護士さんに、いろいろ教えてもらいながら、
初めての児童虐待の取材だった。
当時、21才の茶髪の夫婦は鬼の父・鬼の母と呼ばれ、強いバッシングの中にあった。
しかし、杉山さんは、「鬼」や「鬼畜」だとは思えなかったと言う。
少なくとも、こどもを育てる困難を感じている自分にも、他人事でない気持ちがあった。
10代で子どもを授かった二人は、精一杯張ろうという気持ちがあったのではないかと言う。
それぞれに困難な子ども時代を過ごした二人は、温かい家庭を作ろうとした形跡があった。
若い父親は会社員になり、社宅住まいを始める。
しかし、ある日、どういうわけか、この父親が子どもの頭をゆすぶり、
硬膜下血腫(頭蓋骨の中で脳がゆすぶられることで、小さな血管が切れることによっておこる)になる。
19才の母親は、下の子どもが生まれる少し前に、上の子に障がい(
後遺症?)があることがわかる。
若い母親は、うまく育ってくれないこの子を隠すようになる。
保健師が訪ねて行っても、会えないことが増える。
この子を診断した医師は、痩せて元気のない様子に虐待を疑い、
一週間後に来るように言う。
一週間後、入院の必要があれば、入院をする予定だった。
ところが、一週間後に連れて来られた子どもは、体重が増え、元気になったように見えた。
それは、大人で言えば一週間に10キロ増えるほどの急激な増え方だったが、
医師は、体重が増えていることもあり、入院の必要なないと、帰してしまう。
しかし、その後、遺体となって発見される。
その後、明らかになってゆくのは、
若い夫婦の孤立(価値観が違うと仲良くするのは難しい)。
母親グループにも入れない。
担当保健師の孤立(新人で遠慮もあり)で情報が充分にまわっていかなかった。
研修も不充分で知識も不足していた。
情報が上から下へ伝えられ、医師の言うことが正しという感覚があった。
医師の知識不足(急に体重が増えることもネグレクトを疑うことを後で知る)。
児童相談所の所長も、祖母が居るのなら、祖母に頼めばいいという感覚。
本来なら、もっとも側にいる人の情報を、
上にあげて共有すべきだった。
しかし、それにも増して、孤立する母親に、
手を差し伸べても、手をつなげない。
手をつないでも、振りほどいてしまうということが、
往々にしてあるという。
自分の困りごとを、隠そう隠そうとすることが、
孤立を深めていくことになると語った。
どう、繋がっていったらいいのか?
それが、大きな問題だと言っていた。
私は、この話を聞きながら、自分のことを考えていた。
3人の子どもを連れて離婚して、
障がい児のいるひとり親家庭の私のところに、
福祉事務所の方が訪ねてくださることがあった。
「なにかお困り事はないですか?」
と親切に声をかけてくださるその相談員さんに、
私は心を開くことはなかった。
「はい、お陰さまで、元気に暮らしています。なにも、困っていることはないです。」
それが、毎回の私の答えだった。
相談したところで、わかってもらえる気がしなかったからだ。
しかし、5年も経った頃だろうか?
担当の相談員さんが換わって、
「私は、今はこんなお仕事をさせてもらっているけど、
あなたと同じで、ひとり親で子どもを育ててきたのよ。」
そう自己紹介をした女性が現れた。
その相談員さんは、私が玄関に飾っているものなどを、「素敵ね」とほめて帰って行った。
その相談員さんが、二回目に訪ねて来て「なにか困っていることはない?」
と尋ねてくれた時に、
私は、はじめて「実は、とても困っているんです。」と、心を開いた。
その話を聞いたその相談員さんは、私が使える制度と、
その制度を使って頼める事業所のパンフレットをもって、
その後、訪ねてくださった。
そのことをきっかけに、
私のうちにヘルパーさんが来てくれることになり、
私は外に出て、ヘルパーの資格を取ることができた。
現在の介護福祉士の道が開けたのは、
「私もあなたと一緒なんですよ」という相談員さんの存在だった。
そして、私の発した「困っているんです」という声だった。
私自身が、支援する立場になって、
支援を必要とする方にお会いするときに、
最初に、「今まで、よく頑張ってこられましたね」と声をかける。
それは、支援に繋がるまでの、困難を知っている私の心からの声だ。
困難を抱えた人が、
自分の困難を隠すのは、なぜか?
それは、人に助けられた経験がないからではないか?
困難を、自分の所為だと非難され、
「そんなことは自分でなんとかしろ!」と言っているような世間を、
よくわかっているからではないか?
杉山春さんのお話しは、「大阪二児置き去り死事件」へ
つづく