かき方の難しい記事で、不快になられる方がいらっしゃったらごめんなさい。
あくまで私自身はこう考えているというものなので、そう思わないと思われましたらスルーでお願い致します 争う気はありませぬ。
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童具の使い方は人それぞれ。
内容をみていけば知的玩具としての位置づけとして大人が関われる内容のものがたくさんあるかと思います。次にあげるピンボードなども、他社で同じものがたくさんありますし手作りされている方も多いかと思います。
ただ、童具として遊ぶときそこに大人の意図はいれません。
大人の手の内で遊ぶ程度の想像力などたかが知れているからです。
フレーベルの「命令しない、制限しない、干渉しない」という精神。
最初からおー!って思うものを作るわけではないですが、でもアトリエの子どもたちの作品をみていると「なにそれ!」と驚くものばかりです。
リブログにあげたように、子どもの成長発達には順番があり、やりつくしたいことを味わえたら次のステージへと没頭します。その年齢に応じた試行錯誤。これを経ずして大人の意図ではやくはやくさせると結局はあとで振出しに戻る結果もあるそうです。
ちなみにきぃは点描写得意なほうです。好きな絵をひたすら大きな紙に向かって描いているからと思います。でも点描写の理解のためにこちらを用いたことは一度もありません。ベクトルが違うと思ったからです。(絵を描いたら点描画が得意になる、じゃあ絵を描かせなきゃって思ったらそこがベクトルの違うと私が思う点です。その子の好きなものから伸ばせるアプローチはいくらでもあるのですから。)
結果としてついてくるものを目的化してしまったら本末転倒でそれはもう遊びではなくなるのではないかな…。
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「遊びが人たらしめている」(オランダ歴史学者 ホイジンガ)
カイヨワやホイジンガなど遊びの定義をされたかたの言葉は難しいけど、でもなるほどなーと思う今日この頃です。