フィギュア史を彩る教え子たち コーチ・佐藤信夫 | フィギュアスケート研究本

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フィギュア史を彩る教え子たち コーチ・佐藤信夫

2011/3/14付 日本経済新聞
 
 平日昼下がりのスケートリンクは、大人のレッスンクラス。佐藤信夫(69)が80代の女性の手をとると、みるみる滑りがなめらかになった。助言する真剣な姿は、試合で小塚崇彦や浅田真央を見る時と同じ。

飾らない誠実な人柄

佐藤の歩みは、戦後日本フィギュア史と同調する
 仕事の丁寧さを感じさせる。「彼女は50代から始めてね。このリンク(新横浜スケートセンター)は暖かいでしょ。うっすら解けてね、いい氷になる。氷がいいと技術も上がる。施設の進歩も、今の日本フィギュアを支えてるんですよ」。飾らない、誠実な人柄がそのまま表れた口調で話す。

 佐藤がフィギュアに出会って今年で60年目。昨年、日本人2人目の世界フィギュアの殿堂入りを果たした。その歩みは、戦後日本フィギュア史と同調する。選手として全日本選手権10連覇、1960年スコーバレー五輪14位、64年インスブルック五輪8位入賞、65年世界選手権4位入賞。日本初の3回転ジャンパーでもある。

世界の浅田も指導

 66年に引退後、就職した。だが、札幌五輪開催を6年後に控え、日本代表コーチに推される。68年グルノーブル五輪では後に妻になる久美子、小塚の父、嗣彦を教えた。「生徒を次々引き受けるうちに抜き差しならなくなり、会社の自己評価シートも書けず、こうなりました」。会社を辞め、コーチ業に専念する。

 性格同様、「嘘がなく、現実的な取り組み方をする」(娘で、94年世界選手権金メダルの有香)手法は、着実に選手を生み出し続けた。松村充、小川勝、さらに夫妻でクラスを持つようになり、有香と小塚崇彦をゼロから育てた。

 2人を頼りにやって来たのは村主章枝、中野友加里、安藤美姫、荒川静香。そして「あれだけ頼まれたら(断れない)」と今季から見るのが世界女王の浅田。フィギュア史を彩る選手ばかりだ。


絶えざる自己否定で進化

 コーチ道に秘策はない。強いて言えば、絶えざる自己否定か。「指導者は一貫性がないといけないといわれるけど、僕は自分のしてきたことを否定していいと思っている」。例えば、スケートを走らせるため、かつては姿勢をピシッとすることが求められた。だが、トーラー・クランストン(76年インスブルック五輪男子銅メダル)の登場以降、体幹部を曲げて踊ってみせる滑りが、良しとされるようになった。

 昨日の主流が明日の傍流になることの連続。「もう自分の時代は終わりかなって思ったりもするけど。幸い、選手時代から(海外選手の)模倣で始まっているから、新しいものを取り入れることに抵抗はない」

「意外に大ざっぱ」

 それでも今は想像外のことが次々に起こる。フィギュアブームといえる近年は、外野の声がとみにかまびすしい。コーチと別につく振付師、人気選手を担当するエージェント、期待をかける親。「特に98年長野五輪以降、指導が難しくなった」とため息も出る。

 それでも信夫はあまり深刻そうに見えない。「意外に大ざっぱなの。抜けてるというか、重箱の隅はつつかない。だから続くんだと思う」と久美子。6歳から83歳までの生徒を相手に、今も毎日、朝から夜まで氷の上に立つ。(敬称略)


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佐藤の歩みは、戦後日本フィギュア史と同調する


日本の重鎮のコーチだと思います。

真央ちゃん陣営に、あれだけ頼まれたら断れなかったそうですが、よくぞ引き受けてくださいました。

真央ちゃんの大復活は佐藤コーチのおかげだと思います。

真央ちゃんは、日本の宝です。世界一の選手ですから、日本のトップコーチの指導が、一番良かったと思います。

これからも佐藤コーチ、真央ちゃんをよろしくお願いいたします。(*^▽^*)


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