塩屋俊監督
19からモデルのお仕事を始めて
25で「お芝居やりたい!!」と再び思い
モデル事務所に所属していた私は
役者の友達が居るわけでもなく、自力で探し
一人思い切ってある俳優のスクールに通い始めた。
想像以上に居心地悪くて毎回緊張で吐きそうで、でもめちゃくちゃ楽しくて、
終始無我夢中で、とにかく全身全霊だった。
何よりもレッスンを優先していた生活だった。毎日毎日。。。
あの時の私が、全身全霊した糧があっての〝今の私〟なんです。
そこに通っていなければ、アクターズクリニックと出逢っていなければ
私の今の人生は無い。言い切れます。 無い!!
その人は、とても熱い人。そして、普段はふっと力を抜いた状態でやんわり話しかけてくれる人。
私の顔を見ながら、よく難しい顔をしていた。〝真希!もっと楽に!力を抜いて楽しんで!!!〟とよく言
われていた。
レッスン中は毎回本当に緊張で吐きそうな連続だった。
腕を組み二重な大きい目でギロッと力強い視線でみているのが〝塩屋俊監督〟。
褒められた記憶が、わずかすぎるほどわずか。でも宝物。
普段の監督はとっても優しい。お芝居ではなく、いつも私自身をとにかく褒めて下さった。笑
仕事の話より、日常の生活の話ばかりニコニコ笑顔で話しかけて下さる気さくな監督でした。
4年ぶりくらいに行った四ツ谷のアクターズクリニック。
25から通っていた同じ駅、同じ道、同じ自動販売機、同じ坂、同じような空、、、同じ場所。
でもそこは見たことない、感じたことのない温度と空気に身体が硬直した。
人が亡くなるってなんだろう。
当たり前にここに来れば会えると思っていた人どこに行ってもいないってどうゆう事。。
まだまだ会えると思っていた。お話できると。お芝居見てもらえると。日常生活確認して下さると…
ここがなければ私の人生は全く逆を行っていただろう。
一生の心強い親友達=同期と出会えたのも奇跡の宝物。
何より臆病で人見知りな私を変えてくれ、沢山の自信をくれた場所。先生方。監督。
お芝居、なかなか褒めて頂けなくとも、大好きでした。笑
亡くなられたことが、ただただ大量に流れてくる涙がなんとなく教えてくれる程度で
またここに戻ってくれば会える気がしてならなかった。
涙が大量に流れる理由なんてない。止まらないほど流れる涙だってあるんです。理屈なんかじゃない。頭で理解できない状況でも、心がクリアで感じるストンッとした時、めどなく涙を次から次へと・・・。素直な心が。
でもまた、会えるんだ。きっとここへ来て、大好きな先生方とお話してそこに紛れもなく塩屋さんが存在する。と、自分に言い聞かす。何度も何度も・・・。
もっともっと緊張しないでお話したかった。笑いたかった。もっと沢山お酒飲みたかった。
毎回言う言葉、もう一度「今が最高にしあわせです!」って伝えたかった。
塩屋さん。ほんとうにありがとう御座いました。
そしてお疲れ様でした。
塩谷さんの強い想い、とてつもない数の人達が受け継がれどんどん進んでいきます。
また会ったらお芝居の話よりも
〝真希はもっと幸せになれ!〟
とまたくっきり二重なイケメン笑顔で言って下さい。
「今が最高に幸せです!!!!!」
といつも通り返しますから。。。
塩屋俊監督、本当に本当にありがとう御座いました。
監督の作品いつか出してください。
2013.6.9
村上真希
全身全霊クリニックお芝居ノート。宝物。