第十五章(最終章)~ 総論 2- ① ~
犬と猫の可愛さの違いは何だろう
ずいぶんご無沙汰しました。
いつものように、忘れた頃の更新です。
ご訪問いただき、ありがとうございます。
今日は、総論 2 - ① です。
二人目の著名人のお話しをご紹介致します。
早稲田大学准教授で批評家でもあり、
犬派を自称する市川真人さんです。
市川さんは、読売新聞で実に興味深い記事を
書いていました。
犬派の市川さんは、
猫と猫に溺れる人たちについて、
冷静な目で大変面白く綴っています。
以下の文です。
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もの書きの、
猫への執着ぶりといったら
文学史上でもたいがいで、
ことに猫を溺愛する人物の描写は
(犬派としては悔しいけれど)
犬を描いたそれの比ではありません。
犬はしばしば「人類最古の友」
と言われますが、
そこには歴史や継続を尊ぶ
価値観が暗に示されています。
つまり犬や犬を愛する側には、
安定と秩序を求めるところがあって、
それゆえ逆に、
愛に振り回される身も世もない感じは、
犬との関係ではあまり描かれない。
(謙虚で誠実な犬が
それを求めないからでしょう。)
ダメだと知りつつ逆らえず、
否、抗う気すら溶かされ崩れてゆく
文学が得意としてきた耽溺は、
しばしば絶世の美女(時に美男)
に譬えられるような、
猫との間にこそ起きるようです。
なので、愛と耽溺を
描けば並ぶ者のない
文豪・谷崎潤一郎が
「猫愛」を描くと、
それはもうすごいことになる。
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この後、
中篇「猫と庄造と二人のをんな」
のあらすじと庄造の猫への
異常な溺愛ぶりを説明しており、
最後の言葉として、
次のようにまとめています。
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人間に対してあれほど身勝手な男でも、
猫にはてんでかなわない
それもまたマゾヒズムのかたちの
一つでもあるわけで、
身近な猫好きを見て
「この人も庄造のように
猫に翻弄されているのか」
と思うと、
周囲の猫好きへの見方も
変わってくるかも知れませんぞ。
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という文章です。
市川さんは、犬派側からの独特な視点で
猫と猫に関わる人間に対し、
少し皮肉も交えた感想を記事にしたものです。
次回はこの市川さんの文についての
私の感想編です。
またパパを翻弄するつもりなの?
何年経ってもわからないな。
君が一体何を考えているのか。