第十五章(最終章)〜 総論 2- ② 〜 犬と猫の可愛さの違いは何だろう | ネコときどき孫

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猫を愛するあなたに送るメッセージ
我が家の猫たちの生い立ちから猫の全てに対する思いをぶつけていきます。
文章は長く、エッセー風です。
暇な時に読んで下さい。

第十五章(最終章)~ 総論 2- ② ~
    犬と猫の可愛さの違いは何だろう


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前回の記事で、市川さんは、
「人には我儘でどれほど身勝手な人間も、
猫には決して敵わない。」と言っており、
その様をマゾヒズムと表現しています。

また、人が猫に心を奪われる様を
耽溺(たんでき:あることに心を奪われて、他を気にも止めないこと。女や酒やギャンブルなど、不健全なことに抜け出せないほど没頭すること。)
とも言っています。

なるほど!認めるしかありません。


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一方、犬派は安定と秩序を求めるため、
愛に振り回されるような取り乱した関係は
犬との間にはあまり生じないと言っており、

ただし、それは謙虚で忠実な犬が
それを求めないからだと
悔しまぎれに?言い足しています。

しかしながら、私が察するに、
猫に心を奪われた人間を目の当たりにし、
「どうやら猫には、
得体の知れぬ魅力があるのではないか」と、
心の底では認めているように思えます。

ご自身で具体的な猫の魅力を
まだ解らない事を承知の上で、
猫に没頭する人達に対し、

犬派の人間は

「決してペットには溺れない」

という一種のプライドを示す反面、
猫派に対する羨望の心も垣間見えます。

しかし、もう争うことはありません。
実際の猫を知らない犬派の人間に
想像であるにもかかわらず、
ここまで猫を理解して頂いているのであれば
もう十分だなと思うのです。

ただ、 バリバリの猫派の人たちからすると、
本当の猫を知ってほしいし、猫を表す言葉として
もう少し欲しいところでしょう。

市川さんに不足していると思われる
あと一歩の部分を埋める方法があります。
それは、
実際に猫を飼ってみるということでしょう。

丁重にお断りされそうですが。


もし物書きである市川さんが猫を飼ったならば、
いち早く猫の虜になってしまうのではないかと
思えてなりません。

そして、私が今挑戦しているブログタイトルの
「犬と猫の可愛さの違い」など、
それこそ全ての事象を冷静に見極めて、
ドンピシャリと表現することが
できるのではないでしょうか。






    話は変わりますが、大変なことがありました。

前々回の記事で「チョビの命日」
というのを出したのですが、

当記事と、関連するチョビのブログを読んで頂いた、

チョビの絵を描いて下さったのです。

そんなこと全く知らずに、
ジャンボさんのブログを開き、
最初にこの絵を見た時は、
鳥肌が立って、涙が止まりませんでした。

(ジャンボさん、ごめんなさい。
       勝手にリンクを貼らせていただきました。)




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    これは、「悲しいチョビの最期」の記事に載せた
旅立つ3日前に撮った写真でした。


    悲しげな目が何とも言えません。
描いて頂いた絵を見ながら、
昨晩は(あまり飲めない)お酒を頂きながら、
女房と二人で泣きました。


愛おしいチョビの絵に、懐かしさが込み上げて来て、
何とも言えず良い涙でした。