長女、家を出ました② | 母も娘も『私がわたしの世界いち』お子様の摂食障害・不登校

母も娘も『私がわたしの世界いち』お子様の摂食障害・不登校

たくさんのブログの中から訪問して頂きありがとうございます。
私と一緒に心のブレーキを外して生きづらさを手放していきませんか?

長女が家を出る日…

娘は父親(夫)に
何と言って出て行くんだろう、
夫はどう答えるんだろう…
と思っていました。


その日、私は
午前中は病院で
お昼からはカウンセリングを
させて頂いていました。

なので私の知らない間に
娘は引越しと後片付けを
終わらせていました。

部屋から服が溢れるほど
散らかっていた娘の部屋が
綺麗になっていました


前日まで会社へ行きながら
夜遅くまで片付けて
数日で引っ越しの用意をしたみたいです。

{F32083E9-44FE-47B5-9321-321297555F66}

さてさて、娘が出る時
夫は自分の部屋にいました。

私の入院がきっかけで
少し和らいだ父娘の関係だったけど
それでも以前の様な
仲良し父娘では無いし、

娘の症状が酷かった頃の娘の言動で
傷ついた夫の心はそのまま。

夫が気に入らない娘の行動も
そのまま。


だからね、
どんな態度で送り出すんだろう、

夫は冷たい態度を
取るかもしれないけど
それも仕方ないなって
私は思っていました。



そしたら…



「パパ、行くね」←ここは聞き逃したので想像です(笑)





「立ちいかんくなったら
帰ってこゃあ。

やってみやぁ、
無理しんと。」


こ、こ、こんなこんな嬉しいことを
言ってくれたんですよぉ~~~!

名古屋弁わかります?笑

しかもちゃんと部屋から出てきて
娘とちゃんと向き合って
こんな言葉をかけてくれたんです!


私、嬉しくて嬉しくて。

こうやって書いてるだけで

泣けてきます


娘が出て行くのは自由だし
大人だし
全然構わない。

ただ、
ちょっと帰りたいなと思った時や
やっぱり戻りたいと思った時に

父親が快く思わないことが
ブレーキになって
娘の心のままに帰って来れなかったら
それは私、嫌だなって思ってた。


娘が帰りたいと思った時には
いつでも帰れる場所が
あるということを
娘には感じててほしかった。

なので、
そうではない状況で
送り出すことだけが
心残りだったんです。

娘が
東京に引っ越すと夫に伝えた
3月中旬の時の反応は
とても冷たい態度に
私は感じていました。

↑入院前のことです。


それがまさかまさかの
2人のやり取り。

娘は
1週間で帰って来るかもよ

なんて冗談で答えてましたよ。



娘を名古屋駅まで送る途中に
カフェに寄りました。

娘は父親のその言葉を

「今までで一番嬉しい
言葉だった。

録音しておきたかった~」

そう言って泣いていました。


「ママの入院があったからだね」
そう言って笑ってもいました。

「東京のことで
何かわからないことあったら
パパに聞ける」
そうも言いました。

東京で単身赴任生活を
7年半していた夫なのでね。

安心だね




そして、
最後だなと思い
「今、あの辛かった頃のこと思うと
どんな風に感じてる?」

と聞いてみました。


すると
ママと2人で
乗り越えてきた感じがする。」

「眠れない日は
ママと一緒によく寝たね」

そんなことを話してくれました。



1人じゃない、
ママがいてくれてる、
そう感じててくれてたんだね♡


娘が辛くて辛くて眠れなくて
どうしようもなかった時、
私の心が折れそうになるLINEが
眠れない私によく届きました。


私は娘の部屋に行って声かけて
話したり
マッサージしたり…
一緒に寝ることもありました。


朝方まで一緒に起きてることも
よくありました。


私も辛かった…


でも辛かったそんな日も
全部、「今ここ」に繋がっていた。


点だった出来事が線になって
「今ここ」に
繋がったような気がしています。


長女の旅立ち、
そんな素敵な1日となりました


心屋カウンセラー
じゅんでした。





私は自分の全部を認めて
自分の全部を信じられた時、
娘の全部を信じられた。


色んな思いがあったけど
大切なことは
とってもシンプルでした。


自分一人では気づけない
自分が握っている思いに
カウンセリングは
気づいていくきっかけになります

私の娘への関わり方も
お伝えします。

お話をお聞きしながら
私の中に降りてくる
魔法の言葉もお伝えします。


カウンセリングのご案内は