病院に着くと、

すでに玄関ロビーに看護師と事務員が待機してくれていた。

手には検温の照射機と来院者問診票。

いつもなら厳重に確認され、時間がかかる受付を、

「問題ないですね?では病棟に上がってください」と言うのと同時に検温され、

即座にエレベーターに誘導された。

いつもなら、「何だよ、これまでの対応は何だったんだよ」と悪態を付く所だけれど、

今日に限っては、有難い臨機応変な対応だと、思った。

 

エレベーターを降りると、すぐにナースステーションがある。

朝の忙しい時間帯で、多くの看護師がPCや記録用紙とにらめっこしたり、

様々な医療器具の準備をしたりする姿が見えた。

母の病室は準ICUとも言うべき部屋で、

ナースステーション前を通過してすぐの場所にある。

ゆえに、通過する際、挨拶をして通る。

新型ウィルス蔓延前も、前回のように主治医に呼び出された時も、そうだった。

 

今日も同じように「おはようございます。お世話になります」と挨拶をする。

父も同じようにしながら、ただ早く病室に辿り着こうと速足で進む。

けれど、後ろからついて行く僕には、父よりも冷静な、俯瞰のまなざしがあった。

いつもなら、忙しなくしていても、

挨拶に応えてくれたり、反対に、迷惑そうに顔を曇らせたりする看護師たちが、

皆、黙って、ゆっくりと会釈していた。

その姿で、僕は病室に入らなくとも、母の状態が、分かった。

もしも未だ息があるのなら、あの静けさは、ない。

 

 

病室に入ると、父はただ突っ立っていた。

すぐに触れたかったのだろうけれど、誰もおらず、何の説明もなく、

触れていいものかどうか、どうすればいいものか、分からないといった体だった。

僕は近づきながら、目だけで順に確認をした。

心拍モニターには、少しも乱れない水平の緑の線が映し出されている。

母の顔からは、もうすでに酸素マスクが外されている。

部屋には医者も看護師もおらず、ただ父が立っているだけ。

母の表情にはもう、苦しみも、微笑みも、ない。

 

「もう、死んでるよ」。

父に最後通告を言い渡す。

でなければ、彼は動けないから。

分かっているけれど、動けないから。

 

僕の最後通告を聞き、父はゆっくりと母の傍に行き、

その事実を確かめるかのように、母の頬に触れ、胸に耳を当てた。

それから、手を、頭を、ゆっくりと撫で、

「よく頑張ったな」と、薄っすら涙を浮かべながら、話しかけていた。

 

 

死亡確認の担当となった気の毒な看護師が、

「今、先生をお呼びしていますので」と沈痛な面持ちで声をかける。

夜勤明けで死亡を宣告しなければならない気の毒な医者が、

「8時15分、死亡確認とさせていただきます」と沈痛な面持ちで告げる。

僕は、彼らの気の毒さが少しでも和らげられればいいなと、

「ありがとうございました。お世話になりました」と、

非情過ぎない程度にハキハキと御礼を述べ、

その後の後片付けの説明などに対しても、そのテンションを保つよう心掛けた。

 

死に目というのが息絶える瞬間だけを言うのなら、

間に合わなかったことになるのだけれど、

弱り続けていた心臓が急停止する瞬間に居合わせるなんて、無理だ。

病院の対応は十分迅速だったし、父も僕も十分迅速に駆け付けた。

なので、未だその辺に居るだろ、寂しくないだろ、死に目にちゃんと間に合ったろって、

胸の内で母に了承を取り付けたことにした。

 

その後、看護師が死亡後の清拭を行うにあたり、

父と僕はロビーにて待機となり、その間に姉が、続いて義兄が駆け付けた。

清拭後、病室に入った姉と義兄は、横たわった母を見て涙を流した。

その姿を見て、

ああ僕なんかよりもずっと、姉も義兄も素直だなぁと、改めて感心する。

そして、良かったね母上、あなたのためにこんなに泣いてくれる人が傍に居て、と思う。

 

 

触れた母の手は、未だ温かく、柔らかかった。

痩せた手に厚みはなく、皺というか、張りのない皮膚で覆われていたけれど、

思った以上に、しなやかで、しっとりしていた。

人差し指を摘まみ上げたら、人差し指だけが持ち上がって、

離せばぱたりと、人差し指は落ちた。

されるがままでも怒らないのは、

母にたくさん触れていた頃と同じだな、と思った。

 

 

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