一年の内、陽が最も短い季節になり、

一日がすこぶる短く、簡単に過ぎ去ってしまうように感じる今日この頃。

師も走るくらいなのだから、

僕のような未完成な者は走りっ放しで、息つく暇も早々訪れないのは致し方なしか、

と思う。

 

色んなことが起き、色々と思い巡らせ、色々と工夫を凝らしながら、

それぞれに良き解決が得られるようにと、走る。

「何かもっと大きなもののために走っているのだ」とメロスは言っていたけれど、

そんな大きなものは手の届かないずっと先にしかなく、

小さなものを拾い集めるために走るのが精一杯で、

到底メロスのようには成れやしないと、

走るメロスに武者震いしていたあの頃の己との落差に嘆息は深くなるばかり。

 

でも、それでも。

これが今の自分を走らせるための、おまじない。

要領は悪く、非効率的で、生産性は悪くとも、

でも、それでも、止まってしまうのではなく一歩でも前に進む。

周りから見れば止まっているのと同じだと嘲笑される亀の歩みだとしても。

 

 

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宇宙色の夜明け前。

冬の朝夕の大気は、世界が惑星の表面でしかないと思い返させてくれる。

 

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初雪は牡丹雪。

気温は氷点下になっていなかったのに、風が強くて街路樹が樹氷のようになってた。

 

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その前の晩秋の景色。テーマは「写真って切り取り方次第」。

美しい黄色に色付いた、たぶんポプラだと思われる並木が続く道。

そこを気持ち良く走った時の1枚。

って見えない?

この木、4本か5本しかないから。写っているのが最大値ってアングル。

しかもフェンスの向こう側。向こう側の持ち物を借景してるだけ。

 

写真でも絵画でも映画でも、枠があるからこその美しさや面白さがある。

けれど、枠内でしかない。

美しい色や質感、光、時間、動き、距離感や重量感、空気感。

雄大な景色や実物の魅力は、写真には収まりきらないもの。

同じだけれど同じじゃないって思っておかないと、

「写メと別人じゃん」とか「偽物を買っちゃった」とか「行ってみてガッカリ」とか、

写真文化全盛の今、「騙された…」なんてことになるからご用心。

自分の読解力や想像力が足りないだけだと、僕は思うけど。