前回までのお話。⇨めんそーれ。④




ガンガラーの谷で沖縄の亜熱帯の自然の素晴らしさと
高温多湿の暑さの洗礼を受け
家族みんなで総着替えをし



ひめゆりの塔へ。




名古屋人のご希望で。






かくいうわたしは訪れたことがありまして
名古屋人がここ行きたいって言うた時に




「子供は退屈するかもしいひんけど、日本人として見ておいたり知っておくには良い場所やと思う。ただ、めっちゃヘコむけどな。。」





という素直な感想を述べさせてもらって、

それでも名古屋人は行くとのこと。






いや、めっちゃいいと思う。




子供は退屈するかもやし
意味はわからんと思うけど



でも大人は
1度は行ってみて、目や肌で感じて考えを巡らすことは
大事なことやと思う。








わたし自身、今回で2度目の訪問になるけども
訪問して、


感想としては。。




わたしのこの足らないボキャブラリーと浅い知識でああだこうだと難しそうにペラペラ述べると
もの凄く薄っぺらくなってしまう気もするから



わたしの言葉で
難しくはない、素直な感想を。




(表現は上手くないです。書くにあたりあえて調べ直すことはせず、訪問し、記憶に残ったことを書いておりますため知識も浅いですし、もしかしたら間違っているところもあるかもしれないです。寛大な心で読んでいただければ。。)







前回ひめゆりの塔を訪れた際は独身で、
今回家族を持った身で初めて行ったわけやねんけど


前回と今回では

感じ方が少し違った。










太平洋戦争時の沖縄本島での地上戦の最中、
師範学校の女学生たちがたいした指導も受けないまま
怪我を負った日本軍の軍人の看護要員として
傷を負った兵士たちの看病にあたった。




病院も、想像していたものとはちがう
中は岩肌むき出しの洞窟のような壕と呼ばれるところに木で出来た2段ベットのようなものが設置されているだけのもの。

一歩外に出ればそこは戦場で

運ばれてくる人間も重症患者ばかり。



足や腕を切り落とす手術のサポートや
負傷により、どのような顔であったかすらわからないようになってしまった人の看病。



想像を絶していたもののようでした。







独身の時に感じたこと。

わたしよりも年下の
沖縄全土から教師を目指し希望を持って師範学校に入学した女の子たちが
戦争により、駆り出され
たいした指導も受けないまま
目を背けたくなるような人々の看病にあたる。



日本で唯一、地上戦が行われた沖縄に生まれ育ったからこその
彼女たちの使命と運命。




患者の看病にあたりながらも
壕を一歩外に出ると激戦地。




学校の友人たちも次々に亡くなっていき

戦争が終わって生き延びることができたとしても

たくさんの友人が亡くなったのに自分だけが生きていて申し訳なさでいっぱいになるような感覚。




夢と希望を持って
師範学校に入学したはずが
それもすべて奪われ
生きていてもなお、後悔の念でいっぱいになる。




平和な世の中で生まれ育ったわたしの年月と
彼女たちの年月では
同じ長さを経ていたとしても
その時生きる覚悟も生活できているありがたさの感覚も

まったく違うんやなと思って。





わたしにできることは
与えられた日々を感謝しながら大切に大切に過ごすこと、
そしてこの惨事をできる限り、後世に伝えて行かなければ行けない


ということ。




それを独身の時に感じていたんですけども、






いざ家族を持って
再度訪れた際には



少し違った角度から考えるようになってました。




この地上戦では
沖縄県民の4分の1の方が亡くなられたそうで。



わたしの家族は
主人、わたし、長女、次女


の4人。



4人に1人が亡くなったとしたら
単純に考えて
この中の1人はいなくなっていたということ。



もしこの中の1人が
ある日突然、無残な戦争により欠けてしまったら。。




そう考えた時に




日々家族と過ごすにあたり、


腹立つことも
あー、たまには1人になりたいなー
なんて、ワガママなことを思うこともあります。
(わたしはできた人間ではないためにワガママばかりなのですが。。)


でも


家族みんながお互いにそれぞれ
あーだこーだと思ったりもしながらも
なんでもない普通に過ごせることは

どれほど幸せなことなのか

痛感したのであります。




そして、もし娘が
夢と希望を持って師範学校に入学し、親である我々もそれを応援し送り出したにも関わらず

本人の望んでいたこととはまったく違うことを強いられ
挙句この世からいなくなったとしたら。。



親として
怒りにも似た
いたたまれない気持ちになるなと思いました。
でもその気持ちを、
向ける場所も、当てる場所もないわけで。。





きっと、何度行っても
その時の状況により
感じることや考えること、少しずつ違うんやろなと思いました。





日々の生活、
家族と過ごす時間を
もっともっと大切にしないとなー



なんて真面目なこと思わせられました。



そしてここで語っちゃいました。ははは






名古屋人も
行って、初めて知ったことも多かったようで



行っておいてよかった

と言っておりました。



子供たちは。。



きっと退屈したやろうから


ひめゆりの塔の記念館の隣にある

お土産屋さんで
bluesealのアイスをみんなで食べた。



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長女は自分でチョイスしたアイスを手に渡してもらうなり





「食べないでー!!!来ないでー!!!」



と突然のことでこちらも驚いてしまうようなハイテンションで
後ずさり走りし、(あとずさりばしり、って)


なかなか



一口ちょうだい!



をさせてくれへんかった。。

ママにも味見させてえや。





次女はわたしのを奪い、ほとんど食べてしまうんちゃうかと焦ってしまうくらいの勢いで食べてて


ママのん残しといてや!


ってわたしの本気の声が

閉店間際のお土産屋さんの中で響く。。




名古屋人は名古屋人で
アイスの感想の第一声が



「科学の味がする。。」



とか言うし、



(言いたいことはわかるけど)
(もっと美味しがってえや)






もう。。
なんていうかもう。。




平和そのものでした。

(ピース!!)








好きな人がやさしかった。(ピース!!)







ひめゆりの塔の資料館の見学のあとだったため
より一層、
子供達がはしゃぐ姿が

愛おしく感じたのでした。






つづく。




(ははん、この調子じゃ9月いっぱい沖縄の話になってしまいそう♪)


(ちょいちょい関係ない話とか現在のナウい話を挟んでいくスタイルにしようかな)


(ナウい。。)