私がこれまでに聞いたり

読んだりしたことのある

最もインパクトのある話は

 

「人は自然なままを

美しいとは感じられないのだ」

 

と言うことだった。

 

それはいかにして人間が

ありのままの身体を否定し

人間の「美」と言う概念を

作り上げていったか

 

と言う話だったと

私は解釈した。

 

例えば人は体毛を剃り

髪の色を変えたり

パーマを当てたり

化粧をしたりして

自分を飾る。

 

そしてそれらのほとんどが

手間がかかり不便なのだ。

 

ハイヒールは

足や腰に負担がかかるだけでなく

履き続ければ足が変形し

手術を要するようになること

だってあるし、

 

美しいと言われる服装の

多くは身体のあちこちを

締め付けて自由を制限する。

 

そしてそれは先進国に

生きる現代人だけでなく

原住民たちもまた

耳たぶに重いものをぶら下げて

引っ張ったり

 

首に輪っかをつけて

首をなが〜くしてみたり

と不便極まりないとしか

見えないようなことをする。

 

昨日「美しさ」とは何か

について語るYouTubeレクチャー

みたいなものを聞いていた。

 

そこでは美しいと人が

感じるものは何かということを

紐解いており

 

その一つに人が美しいと

感じるものの中に

 

「自然」「自然であること」

 

と言う項目があった。

 

その項目とそれに添えられた

写真を見て私は違和感を覚えた。

 

なぜならその写真たちはみな

彩度を調整され

色鮮やかなものに

分かりやすいリゾート的な

風景が目立ったからだ。

 

「人は自然のままを

美しいとは感じないのだ」

 

いつか聞いたそのフレーズを

思い出した。

 

もし「美しさ」の要素に

自然や自然であることが

含まれるとしたら

 

この自然の風景に

着色加工が必要だっただろうか?

 

リゾート感満載の写真を

美しい自然の表現として

選んだであろうか?

 

ボッサボッサの自然よりも

多少手の加えられた方を

少なくても間接的に見る時には

美しく感じてしまうのが

現代人なのではないだろうか?

 

などと言うことを

考えた。

 

私の美しさの概念が

変化したのは、

 

1994年。

スピリチュアルな目覚めが

起きたた時だった。

 

その年は当時所属アーティストだった

スチャダラパー小沢健二と組んで

リリースした

 

「今夜はブギーバック」

 

がヒットした年でもあり

私にとっては大転換の

年でもあった。

 

その目覚めの中で私は

この世界というのは

何もかもが美であり

 

自分もまたその一部であり

すべてであると知った。

 

悟りの専門家みたいな人に

言わせると

これは〜という体験だね

みたいにカテゴライズされるが

私はそういうのに興味はない。

 

私に起きたことは

いわゆる象の足を触った

くらいなもので

 

象の全体像について

理解できるようになった訳では

ない。

 

だがその目覚めは

私の物の見方をすっかり

変えるのに充分な変容だったのだ。

 

だからと言って

私の「パーソナリティ」=人格

がすぐに全て変化する訳では

ないのが面白いところだ。

 

その体験は30年も前の

ことなのにいまだに統合は

続いている。

 

私の中には相変わらず

物事を白黒、美しい、醜いで

ジャッジするだけでなく

 

それで物事や人を上に見たり

下に見たりする自分も

十分(笑)存在している。

 

だが、同時にいつも私の中に

人や物事は分け隔てなく

全て美しいのだという

ベストにおいては

取り出して戻れるような

体感もまた存在している。

 

私の中のその部分を

よく見る人たちは

綜海さんは素晴らしい愛の人

だと言い、

 

私のジャッジに根ざした

部分をよく見る人は

性格の悪いババアだと

思うであろう。(笑)

 

どちらも本当のことで

どちらも幻のようなものだ。

 

そして私の道は

美しさに基準を持ちジャッジ

する自分と

 

すべては美しいと知る

自分との間に橋をかけ

統合することである。

 

これは言葉にするのは

簡単だが

実際やってみると

本当にチャレンジだ!

 

なぜならその橋には

強固なエゴという門番が

君臨しており

 

私が美しさへと

降りて行くのを徹底的に

邪魔して来るからだ。

 

この邪魔は

 

「忘れる」

 

「自己同一化」

 

と言う二つの形をとって

頭の中で表現されている。

 

私は私「本郷綜海」と言う

名前だけでなく仕事や

何が好きで何が嫌いか

 

と言う思考と体感、

その概念こそが、

それだけが自分だと認知して

いるエゴなる自分がいる。

 

それが自分だとして

日々暮らしている。

 

するとその向こうにある

壮大な広がりである自己を

忘れる。

 

美そのものとして

存在している自己を

忘れる。

 

そうして苦しみを

作り出して

それを解決するという

ゲームに没頭するのだ。

 

そのゲームは楽しい!

 

めちゃくちゃ楽しい!

 

困難や、痛み、悲しみも

含めてとても楽しい!

 

それが苦しみを生み出していると

知っていてもやめたくない

くらいに楽しい!

 

なんという興味深き矛盾!

 

ただそれはどこまで言っても

ゲームに過ぎないのだ。

 

それに気づくことは

一人の現代社会に生きる人間に

とって別のチャレンジを

要する。

 

それはまるで

人々が全員ゾロゾロと

一つの方向に向かって

行進する中を

 

一人逆方向に向かって

歩くようなところが

あるからだ。

 

いやいや綜海さん、

私は現代の経済社会と言う

グリッドから抜けて

自給自足を目指して

頑張っていますよ!

 

とあなたは言うかも

知れない。

 

それは素晴らしいことだ!

 

しかしその下にある

モチベーションが

現代社会への反逆や

自己実現であったら

 

いくらか進化しているとは言え

乱暴に言えばあまり

変わらないのだ。

 

ではどうすればいいのよ、

綜海さん。

 

あなたは聞くかも知れない。

 

「私にはわからない」

 

私の正直な答えは

いつだってそうだ。

 

最近では人間の身体、

脳やホルモンから

心の仕組みというのが

たくさんわかって来ており

 

「どうすればいいか?」

 

さまざまな事柄に関して

どうすればいいか

 

という方法論は

どんどん科学的なものに

なっている。

 

しかし、あなたの魂が

どうしたいかは

あなたにしか知らない。

 

アカシックーダーや

チャンネラーに聞いても

その人の信念体型の中から

ベストのヒントをくれるだけで

 

たった一つの本当の答えを

教えてくれる訳じゃない。

 

一つ言えることは

「すべての道はローマに続く」

 

ということを信じ

あなたがその瞬間に導かれること

信じること

そうしたいと感じることを

自分にゆるすだけだ。

 

それは時に

美しさに選択しているように

見えて

 

美しさに背を向けて

中指を立てているような

こともあるだろう。

 

それでいい。

 

あれこれ迷うのが

悪いとは言わないが

 

あなたから現れる

今をただ信頼すればいい。

 

✨

 

最近毎日、

うまくいけば1日2回

岬まで散歩に行っている。

 

毎日違う表情を見せてくれる

海を眺め写真を撮る。

 

あなたから見たら

先日も見かけた

ありきたりな自然の風景。

 

でもそれは唯一無二の

瞬間の切りとりのシェア。

 

今日はあえてめちゃめちゃ

加工してみた。

 

(笑)

 

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読むのが私の楽しみです。

 

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