とあるパーティーで尖ったっぽい年配の男性がいたので「どんな音楽がお好きなんですか?と聞いたら「ヒップホップ」が好きと言うので「どんなの?」と聞いてみた。

すると「オールドスクール」と言うから「どんなの?」ってさらに聞いたら「TRF」って答えたので混乱した。私は「TRF?」と声が裏がえりながら聞き返すとともに

頭の中では

「TRF」ってあのなんかよく踊る人たち?AVEXだっけ?(正直あの辺全然知らない)いや、「ヒップホップ」っていうんだからそれはないだろう。何か最近のヒップホップグループで「TRF」というのがいるのか?

などという脳内会話が繰り広げられたが、さらに質問するうちにそれはやはりあの日本の有名グループのことだと知った。

彼らがヒップホップ?ん?それは違いすぎないか?あ、でもなんか楽曲の中でラップしてたとか?思い出せない。

確かに日本のダンスミュージックの古い世代の人たち、、、という意味ではオールドスクールと言う言い方をする人たちもいるかも。

でもヒップホップではない。

私は彼にストレートに告げた。

「ラップとヒップホップは違うんだよ。」

と、彼は少し慌てながら

「知ってる、知ってる」

みたな反応をしていたが、あまりわかってなかったのかも。そうじゃなきゃ、TRFをヒップホップのオールドスクールとは言わないよな。

ご存じないみなさまにちょっとだけ話そう。

ラップと言うのは音楽にのせて言葉を発する歌唱的方法。それを使った音楽をラップミュージックと言う。

反してヒップホップというのはカルチャー。文化なんだ。

だから単に音楽の上にラップが乗っかっているだけではヒップホップとは言わない。

例えば私が米国の高校生だった頃、最初に認知したラップ、ブロンディーの「ラプチャー」はラップミュージックだけれどヒップホップではない。当時はそんなこと全く知らなかったけれどね。

余談だが私は帰国後組んだバンドで同じくブロンディの次のラップ曲「バックファイア」をカバーした。(笑)

では「ヒップホップ」とはなんだろう?

サンプリングや打ち込みのバックトラックに、MCによるラップを乗せた音楽はヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックとは言える。

だが「DJプレイ」「ラップ」「ブレイクダンス」「グラフィティ」(四大要素)を加えたものが本来のヒップホップである。

なんでこんなことを書いているのかと思ったら、つい先日今年の8月11日でヒップホップはなんと50周年を迎えたのが影響しているのかも知れない。無意識って怖い。w

それは1973年8月11日。ニューヨークのブロンクスのパーティーで、DJクール・ハークが2台のターンテーブルをつないでレコードをかけたことからはじまった。

ここからヒップホップが生まれ、そしてそれは世界の音楽、音楽の制作手法、ファッション、文化、アート、に大きな影響を与えることになったのだった。

私が単にラジオやディスコでかかる音楽、米国の黒人の踊るちょっと変わったダンス。

みたいな認知から最初に変わったのは、1983年に上映された「WILD STYLE」という映画のプロモーションで、ダンスグループ「ロックスティディクルー」を見た時だった。

別にヒップホップやダンスに興味があったわけではなかった。

たまたまプロモーションでやって来ていたディスコに居合わせて総勢36名によるそのパフォーマンスを見てしまっただけだったのだ。

当時ボディコン、9センチヒール、ワンレングスの長い髪(一般社会ではまだワンレンボディコンは流行っておらず、大学生やOLはもっとコンサバな格好が主流だった)で、ディスコに行くこととロックはまあ好きだったけれどマニアックな音楽好きでもなんでもなかったギャルの私が、そのパフォーマンスの凄さに感動し自分の内側の何かが変化したのだ。

そしてその後なぜかクラブで出会った藤原ヒロシや高木完とつるみはじめ、彼らがやっていたデュオTINY PANXのライブを見に行ったり、さまざまな来日ヒップホップアーティストのライブを見に行ったりするようになった。

1983年くらいから、ヒップホップ、その後日本のヒップホップの黎明期を見て来られたのは私の人生の中でも最もエキサイティングな日々だったと思う。

毎日がめちゃくちゃ刺激的だった。

それからこれまたなぜか(きっかけはあったが端折ると)88年クラブ、ヒップホップミュージックなどを中心としたレーベル「メジャーフォース」の宣伝、制作担当となり、(最初はアナログ専門レーベルだった)

その仕事の一環として出会った「スチャダラパー」と「高木完」 のアーティストマネージメント会社を立ち上げることになった。

スチャダラパーの最初のアルバム90年5月「スチャダラ大作戦」はインディペンデントのレコード会社からイニシャル(初版)800枚程度でリリースされ、それが数ヶ月で20000枚以上売れることになり、

その次の年には、日本のヒップホップ、ラップアーティストとしてはじめてのメジャーからのフルアルバムを発売することになった。

私は多分、アーティスト以外で日本でヒップホップミュージックで生計を立てた最初の人間かも知れないと思う。

私の人生を開き、変えてくれたものはヒップホップというカルチャーから影響されたものが大きい。

私みたいなギャルがなんでそんなことになっちゃったのかはわからない。当時から音楽のこともそんなにわかっていないし。

ただ新しいものが生まれ、それが広がっていくときに生み出されるとんでもないエネルギーが、最高にエクサイティングで最高に楽しかったのだ。

ターンテーブルを使ってレコードの2枚使いで生み出される音の上に乗っかるラップのかっこよさに私は魅了された。

その現場で即興的に生み出される臨場感溢れる音楽形態を私は愛した。

そうしてヒップホップはさらに米国で、日本で、世界中でどんどん進化していき、ラップを取り入れた音楽も本当にたくさん生み出されて行った。

スチャダラパーもまたその進化の一つの形だろう。日本語、ゲーム好き、テレビ好き、どちらかというとオタクっぽい青年たち。そんな彼らが同じ熱量でヒップホップにもはまり出来た音楽は唯一無二だった。

1989年、スチャダラパーを最初に見たのは、インクスティック芝浦ファクトリーという場所で行われた

「DJアンダーグラウンドコンテスト」と言うイベントでだった。

彼らは「太陽に吠えろ」と言う往年のテレビ番組の有名な挿入音楽をバックトラックとして使い、そこにラップをのせ、審査員特別賞をもらっていた。

低めの身長に童顔、ケンカは絶対弱そうな雰囲気だがそこから発せられる、独特の攻撃的エネルギーと独特の言葉のセンスはこれまで見たことのないものであり、

パフォーマンスがはじまってすぐ私の全身に衝撃が走った。体中の血は熱くたぎり、胸には感動が押し寄せてきて涙が出そうになっていた。

「この人たちを世に出すのは私の仕事だ」

ほとんど啓示のように、私は自分のその時の人生使命をただただ知った。

とあるパーティで出会った人の話から、HIPHOP50周年。スチャダラパーとの出会いの話になってしまったが、今朝はこの辺にしておこう。

あんまり見返さないでこのままの勢いで出しちゃうね。

そうしないとまたお蔵入りしちゃうからね。

最後にここを借りてヒップホップ50周年を祝したい!

自分の人生に最も影響を与えた音楽が誰にでもあるとしたら、歌謡曲でも、ロックでも、クラシックでもなくヒップホップである。

やっぱりめちゃくちゃかっこいい。

ビートとラップさえあれば良い、くらいに。

この際61歳にしてラッパー目指してみようかな、なんて考えも浮かんできてしまった朝。

(笑)

あなたが一番影響された音楽ジャンルがあるとすればそれは何?教えてね。

 

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写真は1989年ころ。ジャングルブラザースとDJレッドアラートの初来日で通訳の仕事をした時のこと。

 

 

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