雨が好きだった | そらねこカフェ・店主ゆぎえみ

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日々の思いを書いてます。







君は言ったね。


雨が好きなのは、お母さんが洗濯をしないから。



ひとつ仕事がなくなれば僕をみてくれるかなと。



雨の日は、台所にいる時間が多いから、お母さんの背中を見ていられる時間が長くなるから。


僕はひとりでできるから、平気なんだよ。



君はいい子だ。


だから小さな魔法をかけてあげる。


小さな小さな魔法だけどね。


それは君だけに通じる魔法さ。










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お姉ちゃんのピアノの練習や病院、お姉ちゃんにかかりきりの母さん。


仕方ないことだとわかっていたけど、その日は少しいらいらしていた。




友だちとけんかしたことを話したかった。


ずっとひとりで待っていたのに、母さんのために洗濯物を畳んだのに。


母さんの仕事がひとつ減れば、僕をもっと見てくれるはずなのに。


お姉ちゃんが洗濯物をぐちゃぐちゃにした。


「あらあらお姉ちゃんは順番が気にいらなかったのね」


母さんはまた笑ってお姉ちゃんの頭に手をおいた。




僕はどうしてそんなことをしたのかわからない。

気がついた時には、お姉ちゃんを突き飛ばしていた。

母さんの叫び声と、お姉ちゃんが転ぶ音と、僕が玄関を飛び出す音が同時にした。


雨の中を、傘を持たないで歩くのは初めてだった。

雨が好きな僕のために、母さんが素敵な傘を買ってくれてた。



軽くて丈夫な折りたたみの傘。
だけど今はそれがない。


雨に濡れた体が冷たかった。


僕は近くにあったトタン屋根の農機具小屋に飛び込んだ。



誰もいない、古びた機械と土埃りの匂いの小屋。

なんだかとても懐かしい。



その時ふいに声がした。


振り向くと、田んぼを耕すトラクターの運転席に、黒い子猫が座っていた。



「あっ、君は幸せを運ぶ番人の猫」

僕はびっくりしてそう叫んだ。



「そうさ、だけど雨の音がうるさくて、迷子になってしまったんだ。大きな声で呼んだって、雨の音で届かない」



黒い子猫の鳴き声は雨の音に消されていた。


僕はそっと、子猫の頭に手をのせて聞いた。


「君は誰を呼んでいるの?」


「誰を呼んでいるのかわからないんだ。僕の声が届けば、きっと迎えに来てくれる。だけど雨の音がうるさくて、僕の声が届かない」


子猫はとても寂しそうだったから、僕は優しく言ったんだ。

「大丈夫、きっとまた雨はやむよ」


子猫は僕の肩に飛び乗って大きな声で鳴きだした。


僕も負けずに呼んでみた。



「母さん 母さん 母さん」



それでもぜんぜん届かない。


トタンにぶつかる雨音が、リズムのように聞こえてきて、僕はようやく思い出した。



ずっと前、急に雨が降り出して、お姉ちゃんと僕はこの小屋で、雨の止むのを待っていた。



母さんが来るのを待っていた。



泣き出しそうな僕の頭に手をのせて、お姉ちゃんが唄い出した。



お姉ちゃんの歌は楽しくて、いつしか僕も唄ってたんだ。



『秘密の基地を知っている。

幸せ運ぶ番人の、黒い子猫が休んでる』

あの時みたいに唄ってみた。



僕が唄うと今度は肩に乗った子猫もいっしょに唄い出した。


『雨の降る日は基地の屋根、トタンの音がうるさくて鳴き声だって届かない』



歌の上手いお姉ちゃんが作ってくれた歌。


お姉ちゃんと僕の秘密基地。


「お姉ちゃん」



大きな声で叫んだ。涙がボロボロこぼれて喉が痛かった。


それでも僕は叫んだ。


「お姉ちゃん」


その時だ、子猫が肩から降りて、さっと外に飛び出した。

僕は驚いて後を追った。

何かにつまづいて、転がるように小屋の外に出ると、遠くにびしょ濡れの母さん走って来るのがが見えた。


お姉ちゃんも後ろから来る。


僕はお姉ちゃんのそばまで走って行った。


お姉ちゃんは大きく目を開いてから顔をくしゃくしゃにした。



それから少し背伸びをして僕の頭に手をおいた。


いつの間にか、雨は上がっていた。




僕は母さんの顔が見れなくて、母さんの後ろに回ろうとした。



ごめんなさいと言うためだ。


その時母さんの手がのびて、母さんが僕を抱きしめた。


僕は目を閉じていた。



母さん、僕は雨が大好きなんだ。

母さんが洗濯物を干さないから。

母さんの用事がひとつ減るから。

だけどそんなことはもういいや。

ねえ母さん、あの子猫はどうしただろう。



お姉ちゃんならきっと知ってる。



後でお姉ちゃんに聞いてみよう。



お姉ちゃんならきっと知っているんだから。



目を開けると、母さんの肩の向こうに虹が見えた。



やっぱり僕は雨が好き。


雨が上がるのを待てるから。