先日、スペイン・ワイン、シェリー、手作りサラミ、チーズ、イベリコ豚の缶詰、マッシュルーム、生ハム、ムール貝といったスペインに所縁のある食材を集めてスペイン・パーティーを行った。銀座のシェリー専門店のマスターが来ていたこともあり、集まった食材を用いてスペイン料理を楽しむこともできた。ハイライトはパエリアだったのだが、サフラン担当者がサフランを持ってくるのを忘れて、遅れてくる人に「サフラン買ってきて!」とお願いして少し遅れてパエリアが完成した。

スペイン・パーティーなのにフランスワインだったり、パエリアを作るのにサフランがなかったりと、話題もスペインの話はほとんどなかったりとそれなりにつっこみどころもあったのだけど、参加者それぞれが満足して楽しめたのだから良いパーティーだったと思う。

もしこれが本格的なスペイン料理店だったら、サービス料を含んだ高額の料金を払うことにはなるが、シェフが腕を振るったパエリアが出て、本格的なカヴァやシェリーも楽しめたのだろう。しかし、フランスワインが出たり、サフランを忘れたりというハプニングは楽しめなかっただろうし、塩気の少し足りないパエリアを作るという楽しみも味わえなかっただろう。会場代の1500円だけでお腹も心も満足できたのならば、本格スペイン料理店ではなく、知恵を絞って参加者で創り上げるスペイン・パーティーで十分である。

それぞれがお酒や食材を持ち寄って、レシピが分かり、それを調理する人間がいればそれなりに満足できるスペイン料理を格安で食べることができる。同じようなことはコーヒーとクラシック音楽の会でも実現できたし、あんこう鍋の会でも実現できた。今の時代、ある程度満足のゆくというレベルでよいのならば必ずしも専門家に任せなくともよい。要するに「餅は餅屋」という時代ではなくなったのだ。

同じことが実は政治にも言えるのではないだろうか?政治は必ずしも職業政治家や官僚という専門家、特定の利益団体のものでなければならないわけではない。個人個人が知識や知恵を提供することで政治を創ることは可能であるし、それが本来の民主主義というものであると思う。もちろん、各々の知識や知恵をすり合わせる存在として政治家が、既存の政治や制度を熟知する存在として官僚が、利益を集約する機能として利益団体も必要である。

これまでは特定の利益団体という畑で採れた食材を、政治家というシェフの指導の下で官僚機構や議会という厨房とそこにいる料理人たちで料理を行い、出されたものを国民が食べてきた。その料理は人によっては必ずしも美味しいものではなかったし、サービス料も高かった。これからの時代はそれぞれの畑で採れ、自分たちで持ち寄った食材を、政治家というシェフの調整の下で官僚機構や議会という厨房スタッフと協力しつつ国民も料理を行い、食べるという形に変えてゆくべきではないかと思う。

好き嫌いやアレルギー、宗教上の都合もあるわけだからあえて多様なメニューにする必要もあるだろう。プロのシェフに作ってもらうよりも味は落ちるかもしれないし、手間はかかってしまうかもしれないけど、嫌いな料理や食べられない料理を出されるよりははるかにマシだろう。

今回の東京都知事選の候補者を見ていて思うのは、舛添、細川、宇都宮、田母神といった既存政党を基盤とする候補者のほとんどが従来の本格料理店に行って食事をするというタイプの候補であるという点だ。本格フランス料理はレストラン舛添で、本格懐石料理は老舗料亭細川で、本格中華料理は宇都宮楼で、本格イタリア料理はリストランテ田母神といったところだろう。それぞれ本格派の料理を振る舞ってくれるのであろうが、重たいフランス料理が苦手な人はレストラン舛添での食事は困るし、唐辛子の苦手な人は宇都宮楼では困る。

それぞれの本格料理の押し付けがある中で、「オレ、料理できないけどシェアスペース貸すから、みんなで持ち寄りでパーティーしようぜ!」というのが家入一真である。このパーティーだと味は本格料理店には劣るだろうけど、材料次第でフランス料理も懐石料理も中華料理もイタリア料理も食べられるし、フランス料理と中華料理のコラボ料理も食べられるかもしれない。

もちろん参加者にはうっかり者もいて、ムール貝とあさりを間違えて買ってきてしまう人もいるかもしれないけど、後でムール貝を買ってきてくれる人がいるかもしれないし、間違えて買ったあさりから新しい料理を創り出すという可能性もある。そして、パーティーの参加者にフランス料理のシェフがいたらレストラン舛添と同等かそれ以上の本格フレンチを作ってくれるかもしれない。

参加者が美味しい食材を持ち寄って、それぞれが美味しい料理を創り上げるという使命感がなければ満足行くパーティーにはならない。そういう意味では、まずい料理ができるというリスクもあるし、パーティーそのものがつまらないものになるというリスクもある。だが、ある特定の料理にならない多様性を確保できるという点においてシェアレストラン家入には果てしない可能性があるのではないかと思う。

選挙も食事も誰を選ぶか、何を食べたいかは個人の自由であるし、個人の考えに従って選んだり食べたりすればよいと思う。本格フレンチや本格イタリアンにこだわりたいのであればとことんこだわればよいと思う。しかし、そこでは供された料理を食べるだけであるということを忘れるべきではない。私個人としては、料理をするのも食べるのも好きな人間であるから、シェアレストラン家入でパーティーをしたいと思うのである。