友人も指摘していたけど、JR東日本のこのキャッチコピーは昨日の流行語大賞であると思う。昨日は電車が動かなくなり足止めをくったり、イベントが中止になったりした友人たちが軒並み「ぜんぶ雪のせいだ。」とつぶやいていたのだが、本当にぜんぶ雪のせいだった。

自分はというと、昨日の帰りの電車が大幅に遅れ、今日は朝から予定した勉強会と午後から予定していたエスニック・フェスが中止になってしまった。エスニック・フェスは友人が一生懸命準備をしていたのを知っているだけに中止は本当に残念だった。だが、運営側として限られた時間の中でお客さんの安全を考えに考えた末での決断だったので中止は仕方がないと思う。

この友人に限らず、今回の大雪のせいで大変な思いをした人は少なくないはずである。たとえば鉄道会社で安全運行のために尽力されている運転士、車掌、駅員、保守点検作業員の方々である。電車が遅れてイライラした乗客を抱えながらも、何とか安全運行を図ろうと努力をしていた。電車が大幅に遅れたとしても、人命に関わる大きな事故が起きていないのであれば彼らは職務を全うしたことになるはずである。

鉄道会社というのは「安全運行」と「安定運行」を両立させなければならない。気象条件によってどちらかを優先しなければならない時、当然「安全運行」が優先される。より厳密に言えば、「安全運行」なくして「安定運行」はありえないから、「安全運行」に終始する。

電車が大幅に遅れたのは「ぜんぶ雪のせいだ。」ですむのだけど、もしも人命に関わる大きな事故が起きていたら「ぜんぶ雪のせいだ。」ではすまされない。多少の不便を被っても、鉄道会社が「安全運行」に集中していると理解する必要があるだろう。

人間だから電車が遅れたり、車内がギュウギュウ詰めになったらイライラは募る。実際、昨日の電車の中では乗客同志の小競り合いが見られた。たとえば、駅に到着後に「降りるっつてんだろうが!」と怒り出す人、電車から降りたい人がいるのに頑として道を開けてくれない人がいた。

だが、少しだけ自制心を働かせたり、他人への思いやりを持つことができれば、混沌のと不便の中から一定の秩序を作り出し、より混沌とした不便な状況に陥らずにすむはずである。たとえば、電車から降りる時には「すみません、降ります!」と声をかけたり、降りたい人がいる時には道を開けるために電車から降りたり、「降りる方いますよ」と声をかけることで、周りの人の不快感を和らげることができるはずである。

感情的になっても混沌と不便を解決することにはつながらない。いかにして自制心を保ち、他人への思いやりを持つかということが重要なのではないかと思った。混沌と不便が生み出されているのは、「ぜんぶ雪のせいだ。」なのだけど、苛立ちや自分勝手な行動まで「ぜんぶ雪のせいだ。」とはしたくない…。

電車の安全運行は鉄道会社の義務であるが、乗客の側もちょっとした機転と知恵でそれをサポートすることができる。乗客がその機転と知恵を発揮することで、より安全な運行を創り出し、それが安定運行へとつながるはずである。