少し前の話になるけど出国前の2月に『コンテンツビジネスのすべてはUCLA映画学部で学んだ。』の著者であり、株式会社ボルテージの会長である津谷祐司さんの講演会に参加してきた。

コンテンツビジネスのすべてはUCLA映画学部で学んだ。/幻冬舎

¥1,470
Amazon.co.jp

この中で現実世界では「挑戦と恋愛は両立しない」から、映画の中ではこの両立が目指されるというような話があった。この話を聞いて真っ先に思い出したのはやはりジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』なのだけど、もう一つ思い出したのがロベール・アンリコ監督、アラン・ドロン主演の『冒険者たち』という映画。この映画の中では「恋愛」の要素はないのだけど、「挑戦」の要素が非常に強い。

冒険者たち [DVD]/アラン・ドロン,リノ・ヴァンチュラ,ジョアンナ・シムカス

¥1,543
Amazon.co.jp

この中で主人公の三人はそれぞれ「夢」を抱き、「夢」に向けて「挑戦」を続ける。しかしいざ大金を手にして「夢」への「挑戦」が可能になる段で、それぞれが普通の人が抱くような「ささやかな幸せ」を求めようとする。「挑戦」を諦めた人間は退場を余儀なくされる、つまり「死」が待っているというストーリー仕立てである。タイトルが『冒険者たち』となっている以上、「冒険」(=挑戦)をやめてしまった登場人物には極めて厳しい現実が待っている。

本当に器用な人間というのは、現実世界においても「挑戦と幸福」を両立させられるのかもしれない。しかし多くの人の場合、「ささやかな幸せ」を求めるあまりいつの間にか「挑戦」を諦めてしまう…。若い頃に大きな「志」を抱いていても、結婚して、子どもが生まれ、家を建てたりすると、それらを理由として「挑戦」を諦める。(「挑戦を弱める」という表現でもよいかもしれない)。

「挑戦」を諦めることが悪いことだとは思わない。啄木の歌にもあるように、「友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」という人生もまた良いものだと思う。ただ、多くの人が「挑戦」を諦めてしまうことに「寂しさ」のようなものを覚える。

自分はあまり器用な人間ではないから、ある時期から普通の人が享受できる「幸福」というものを享受することはできず、その代わりに自分の「志」(「夢」ではなく「志」)に向けて「挑戦」を続けるのが宿命であると思うようになった。少しだけ回り道はしたけれども、学生時代から携わりたいと思い続けてきたプロジェクトにようやく今携われている。そのことを考えると、多くの人が享受できる「幸福」というものを享受できなくとも仕方がないのだと思う。

「幸福」を享受できる人間は「挑戦」を諦める、あるいは弱めるけれども、「挑戦」をできる人間は「幸福」を諦める、あるいは弱める。多分この考え方はあまり共感はされないと思うけど、少なくとも自分にとっては「そういうもの」なのだと思う。もちろん、将来自分が今の「挑戦」を諦めたり、弱めたりする可能性がないわけではない。ただ、しばらくはこの「挑戦」を続ける。仕事で死ぬのはバカだと思うけど、今の仕事で死ねるのであればバカと思われてもよい。多くの人が当たり前のように享受できる「幸福」を得られなくとも、せめて「この仕事をやりきったなぁ!」と胸を張って死ねるように生きたい。今は心からそう思う。