読書をしたり勉強会に参加したりする目的というのはそれを行う人によってそれぞれ異なると思うし、どの目的が正しくて、どの目的が間違っているということはないと思う。ただ、私自身がここ数年間様々な本を読んだり、勉強会に参加したりする中で感じたことをひとつだけ書いておきたい。

何か新しい物事を学ぶ時に大切なことは、「○○ということについて知りたい!」という知的好奇心であると思う。多くの人はこの知的好奇心を満たしたいと思い、わかりやすく説明してくれる人や本、ウェブサイトを求める。最近はインターネットの発展もあり、グーグルやウィキペディアといった検索ツールを使ったり、「まとめサイト」を活用することで概要について簡単に調べることができる。

私の場合、「わからないことがあればまずは百科事典を調べなさい」という父の教えもあり、インターネット普及以前から「まずは百科事典を調べる」という姿勢を持っていた。ただ、ここ数年間で経済学やサイエンス関係といった未知の分野を学ぶにあたっては、わかりやすく説明してくれる人と勉強会をしたり、本やウェブサイトで調べるという姿勢も持ち合わせるようになった。物事をわかりやすく説明してくれる存在(ここでは「”Light”なもの」と呼ぶことにしよう)に触れてゆく中で、分野によっては”Light”なものから学ぶだけでは何か物足りないと思えるものも出てきた。

私がここ2年間で最も多く出席した勉強会はFinancial Education & Design(金融経済読書会、略称FED)である。大学時代も経済学については全く学んだことがなかったため、当初は”Light”と呼ばれる主に経済学の入門書を読むセッションに参加していた。次第に、”Light”で読む本だけでは物足りなくなったため、経済学の古典を読む”Classic”と呼ばれるセッションや金融・経済分野の最新の書籍を読むスタンダードなセッション、クルーグマンの『国際経済学』を読む理論のセッションにも参加するようになった。(クルーグマンのセッションについては情けないことに挫折した)。

私はこれらのセッションに単に参加したのみならず、プレゼンテーションも3回ほど担当している。(シュンペーターの『経済発展の理論』、アセモグルの『国家はなぜ衰退するか』、クルーグマンの『国際経済学』)。単純に難しい本を読むだけではなく、プレゼンテーションをすることでより深く本を読まざるをえないという状況に自分を追い込んだ。少なくとも経済学については”Light”なレベルでは終わらせたくなく、より高いレベルの知識を身に付けたいという思いが強く、幸いにもFEDはその貴重な機会を私に与えてくれた。

FEDを通じて私の経済学の知見は少なくとも2年前よりは向上していると思う。これはFEDを通じて「知的成長」を遂げたと言い換えることもできるだろう。この「知的成長」の背景にあるのは、”Light”なレベルでは終わらせず、もっともっと深く知りたいという強い知的好奇心があったからに他ならない。

FED以外にも”Light”なレベルの読書会や勉強会はたくさん存在し、私自身も数多く参加してきた。(クーリエ・ジャポン朝食会、理系本読書会、ビジネス三誌読書会など)。「政治について超基礎レベルから学びたい」というニーズがあったため、私自身も”think Politics ! ”という”Light”な政治の勉強会を主宰し、政治について学ぶ「とっかかり」を提供することに努めた。

”Light”な勉強会に参加したり、主宰することで感じたのは、「参加者それぞれが「知的成長」を遂げてほしい」ということであった。私自身がFEDにおいてそうであったように、”Light”なレベルに安住するのではなく、もっと”Advanced”なレベルにも挑戦してほしいということである。そして、「勉強会に参加して、聞いて、考えて、発言する人」ではなく、「自分自身が勉強会を主宰し、参加者とともに考えて、議論して、発信する人」になってほしいということである。観客ではなくプレイヤーに、情報の消費者ではなく生産者になってほしいのである。

もちろんそれはあくまで私個人の「願い」であって、その「願い」は必ず叶えられなければならないものではない。ただ、様々な人が自分自身の知識やスキルについて多くの人に対して発信し、共有されることで、社会に新しい多様な価値観が生まれ、何か面白い化学変化が起きるのではないかと思うのである。

人から何かを提供されて受け取るだけではおそらく新しいものは何も生まれない。人から受っ取ったものを組み合わせたり、加工したり、自分自身の創り上げたものを人に提供することで新しいものが生まれる。私は知識や情報、スキル、価値観の消費者に堕するのではなく、それらの生産者や創造者でありたい。そして、その考えを共有する仲間を得たい。これが自分がここ数年間読書会や勉強会に出る中で確立した考えである。