ウクライナ問題に関する報道や識者のコメントを見ていると、この問題が政治、経済、軍事、歴史、宗教、民族といった実に様々な問題によって構成されていることがわかる。様々な問題によって構成されているということは問題を単純化して考えることが不可能であり、多様な切り口から考える必要があることを意味している。私個人としてはウクライナやロシアの専門家ではないため、今般の問題を詳細に論じることはできない。しかしながら、これまでに学んできた国際政治や歴史の知識を用いて今般のウクライナ問題を考えてみた。

ロシアによるウクライナ侵攻を考えるにあたって、報道機関や識者によっては第二次世界大戦直後から1991年12月のソ連崩壊に至るまで続いた「米ソ冷戦」になぞらえて「米ロ新冷戦」と揶揄している。しかしながら、「米ロ新冷戦」という表現は象徴的なものに過ぎず、実際には冷戦期と異なる部分もあれば、冷戦期に類似している部分もある。ウクライナ問題を理解するにあたって、歴史のアナロジーを用いることは無駄でもあるし、有用でもある。

3月4日付英フィナンシャル・タイムズ紙のGideon Rachmanのコラムでは開口一番こう書かれている。「ソ連が1968年にチェコスロバキアに侵攻した時、モスクワの株式市場は暴落しなかった。なぜか。それは当時のモスクワには株式市場がなかったからだ」と。この文章は、現在のロシアとウクライナ、アメリカ、ヨーロッパ諸国が置かれている状況が冷戦時代とは全く異なることを示している。

フランスの哲学者レイモン・アロンは冷戦を評して、「ヨーロッパにおける正統と異端」と表現した。冷戦期においてはソ連は西側諸国にとっての「異端」であり、程度の差こそあれ、西側諸国とソ連は政治的、経済的、軍事的、イデオロギー的に対立を深めてきた。しかしながら、冷戦崩壊後のロシアは西側諸国にとって必ずしも対立をする相手ではなくなった。政治的、軍事的に対立することはあっても、経済的には相互依存関係を強め、イデオロギー的には自由民主主義的な価値観を一部共有するようになった。(少なくとも現在のロシアでは民主的な選挙によって大統領と議員が選ばれている)。このような状況は冷戦期には見られなかったものである。

一方で、今回のウクライナ侵攻は1968年のチェコスロヴァキア侵攻時に唱えられた「制限主権論」、いわゆる「ブレジネフ・ドクトリン」を彷彿とさせた。近代以後の国際法および国際政治において主権国家(Sovereign State)には「対外的には絶対不可侵」の原則が適用される。「制限主権論」とは、社会主義圏全体の利益を防衛するため(言い換えればソ連の利益を防衛するため)には国家主権が制限されうるという考え方である。冷戦期のソ連においてはこの「制限主権論」が採用され、前述のチェコスロヴァキア侵攻とアフガニスタン侵攻はこの論理に基づく。

旧ソ連の構成国であったとはいえ、現在のウクライナは独立国として主権を有している。このウクライナ政府の同意を得ていないロシア軍の進駐は明確な主権侵害であり、1968年のチェコスロヴァキア侵攻に極めて類似している。ロシアは既に2008年にも南オセチア紛争においてグルジアへの軍事介入を行っており、冷戦崩壊後においても程度の差こそあれ「制限主権論」を継承していると指摘することができるだろう。

1980年代末期に起きた一連の東欧革命によりソ連は中東欧における衛星国を次々に失った。1991年にはソ連そのものが崩壊し、旧ソ連諸国は独立国家共同体(CIS)として緩やかなつながりを保った。ソ連崩壊後、ヨーロッパ連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)が東方への拡大を図ったことで、ソ連の後継国家たるロシアはその勢力圏を確実に縮小させられた。帝政ロシア、ソビエト・ロシアを通じて国家安全保障上、「首都から国境が1マイルでも遠い」ことを望んだロシアにとって、勢力圏の喪失は脅威の拡大そのものであったことは想像に難くない。

ソ連崩壊後の混乱もあり、ロシアは中東欧における勢力圏拡大に対抗する術を持ち合わせなかった。しかしながら、プーチン政権誕生後は豊富な天然ガス資源を活用することにより経済的復興を遂げ、これを背景に旧ソ連圏諸国および中東欧における影響力の拡大に成功した。中東欧においては天然ガスを通じて経済的影響力を確保し、旧ソ連圏においては天然ガスを通じて経済的影響力を、CISを通じて政治的影響力を確保することに努めた。

プーチン政権以後のロシアにとって旧ソ連圏および中東欧における影響力維持は不可欠であり、とりわけかつての領域であった旧ソ連圏諸国への欧米勢力の影響力拡大はプーチンにとって許し難いものであった。独立国家とはいえ、旧ソ連圏諸国の防衛はプーチンにとっては自衛権の発動そのものであり、旧ソ連圏諸国の独立性を尊重するのであれば「制限主権論」という論理に変わるだけである。

2008年の南オセチア紛争と今回のウクライナ侵攻を併せて考えると、プーチンのロシアは今後も旧ソ連圏諸国においてロシアにとって望ましくない政権が誕生した際には躊躇することなく介入を行うだろう。そして、今回のようにアメリカおよびヨーロッパ諸国が機動的に軍事力を行使せず、ロシア経済への影響がさほど大きくない場合においてはより強硬な軍事介入を行う可能性が否定できない。

では、旧ソ連圏において横暴さをもつロシアに対して各国はどのように対応すべきなのであろうか?冷戦期のアメリカの外交官であるジョージ・ケナンは、1947年に外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』に寄稿した「ソビエト対外行動の源泉」(原題は“The Sources of Soviet Conduct”、いわゆる「X論文」)において、ソ連に対する長期の「封じ込め」を主張した。これを受けて(実際には曲解した形であるが)、アメリカは軍事力を中心とした「封じ込め」である「トルーマン・ドクトリン」を展開した。

長期にわたる冷戦の結果ソ連が崩壊したという歴史的事実を考えると、「封じ込め」は少なくとも失敗はしなかったと言える。しかしながら、「封じ込め」が長期にわたって機能するにあたっては、政治的、経済的、軍事的に多大なコストを要し、幾度かの軍事的緊張を経験したことを忘れるべきではないだろう。また、現在のロシアと欧米諸国の関係が、単純な対立関係によってのみ構成されているわけではないという点を考えると、過去の「封じ込め」政策がそのまま援用できるわけではない。そう考えると、非常に高度な政治的、経済的、軍事的な駆け引きが必要となるはずである。