去る3月19日に無事サウジアラビア王国ラービグに赴任した。サウジアラビアについては簡単に訪れられる国ではないため、今後の生活を通してできるだけ情報発信をしたいと思っている。今回から2階に分けて入国までのエピソードを紹介したいと思う。

出国当日は午前中に会社に出て雑務をこなした後、22時30分のフライトを控えて16時前には成田空港に到着した。三菱東京UFJ銀行ならあらゆる外貨を扱っているだろうと高をくくっていたのだが、空港の窓口ではサウジアラビア・リヤルを扱っていない。慌てて空港内でサウジアラビア・リヤルに替えられる外貨ショップを探したところ、「トラベレックス」にて両替することができた。ただ、1SR1あたり33.56JPYというレートは高すぎる。(円安傾向にある現在でも1SRあたり27JPYという感覚でいた)。

その後、見送りに来た両親と兄に会い、空港内の「寿司岩」にて出国前最後の夕食を共にした。ここ数年間家族の中で確執のようなものを抱えていたのだけど、先日実家でしゃぶしゃぶをやった際に一応の解決が図れたこともあり、短い時間ではあったけれども実に和やかな会食となったと思う。もしかしたら出国が延び延びになっていたのは、抱えていた問題を解決しろというアラーの思し召しであったのかもしれない。(我々家族はイスラム教徒ではないけれども)。

出国に際して父から本を一冊、『孫子』をいただいた。中学時代に読んで以来何度か読んだことがあったのだが、手渡された岩波文庫はやや厚みを増している。「新訂」とあるから、昔読んだものに注釈と解説が増えたということなのだろう。昔は注釈や解説はあまり真面目に読んでいなかったから、これを機に改めて読み直すこととしよう。

多分父は私が『孫子』を読んだことがあることくらい知っているだろう。読書家で古今東西の様々な名著に通じている父がこの一冊を選んだことには何か意味があるはずである。それを考えながら読む必要がありそうだ。

その後、チェックインカウンターにて見送りに来てくれた友人に会い、これまた送別の品をいただいた。「エロ本シリーズを準備している」的なことを言われていていたため、若干期待していたのだけど、池井戸潤の文庫本とビジネス誌の詰め合わせという組み合わせだった(笑)。ただし、ラッピングが林家ペーパーを彷彿とさせるショッキング・ピンクであった。

少し時間が早かったものの、19時45分頃にチェックインを済ませた。早くチェックインを行うと良いこともあるもので、座席変更で通路側から窓側に変えることができた。結果的には、成田~ドーハ間は夜間フライトであるからあまり意味は無かったが、ドーハ~ジェッダ間は昼間のフライトであったため少しは景色が楽しめた。

手荷物検査、出国手続と特に問題なくこなし、21時過ぎにANAラウンジに入った。21時30分の搭乗開始とともに飛行機に搭乗した。離陸前に眠りについてしまい、そのまま日本時間の2時半頃まで4時間ほどぐっすりと眠った。このため1回目の機内食はメニュー希望を伝えていながら食べられず…。トイレに行った際にパーサーに現在地を聞いたところチベット・ヒマラヤ上空とのこと。その後は読書と睡眠を繰り返しながら、飛行機はタリム盆地の南側からパキスタンとアフガニスタンの上空を通過し、ペルシア湾に到達した。ドバイとアブダビ上空を通過後ドーハに当初予定よりも45分早い現地時間3時45分に到着した。

9時間のトランジットはカタール航空の専用プレミアム・ターミナルで過ごすはずだったのであるが、チェックインカウンターに着くなり市内のホテルを準備したと言われる。一旦到着ターミナルに案内され、そこでトランジット目的のカタール入国となった。入国手続は実に簡素で、虹彩認証を経てやる気のなさそうな入国管理官のカウンターを経て入国となった。

なお、このカタール入国直前に同じ会社の別働隊と偶然合流した。サウジ経験が豊富な方々であったので、これで一気に安心感が湧き出てきた。海外経験の浅い赴任者や出張者というのは常に「不安」に支配される。この「不安」の中でトラブルに巻き込まれてしまうと、「不安」の悪循環にはまってしまう可能性が高い。後々触れてゆくけれども、今回の私の場合は様々な「幸運」(おそらくこれを「インシュアラー」と呼ぶのだと思う)に恵まれた。その「幸運」のひとつがドーハでの同僚との邂逅にあった。

さて、期せずして入国することとなったカタールでは、ドーハ国際空港から車で5分程度のところにあるOryx Rotana Hotelに一時滞在することとなった。このホテルは5つ星のホテルであり、現在はドーハのランドマーク的な存在になっているのだという。トランジットのための滞在ということもあり、食事とインターネットサービスの提供は有料という内容だったが、立派なベッドとシャワー付きの部屋であったから十分満足できた。

部屋に着くなり何はともあれまずはシャワーを浴びる。その後、今回受けたサービスが従来にはなかったサービスであることから、今後の赴任者や出張者にも情報共有を図っておこうと思い、本社への簡単な報告メモを作成しておいた。

2時間ほどベッドで仮眠をとった後、12時前にホテルを後にする。ドーハ国際空港のファーストクラス・ラウンジにて昼食をとる。サウジ入国後は当然お酒が飲めないため、ここで「最後の一杯」を飲むこととする。最後の一杯に選んだのはニュージーランド産の赤ワイン(シラー)。酸味とタンニンのバランスに優れたワインだった。

12時45分定刻にドーハ国際空港を出発。機中ではドーハで合流した同僚と隣合わせとなった。定年退職後に再雇用となった技術者の方で、「東京五輪の年(1964年)に大学を出て入社した」とおっしゃっていたから70歳を超えているはずである…。昔の苦労話を色々と聞かされつつ、自分自身の「志」についてもたくさんお話しさせていただき、非常に愉しいフライトとなった。

飛行機はドーハ離陸後バーレーンとリヤドの上空を経由した。バーレーンは小学校4年生の時の担任の先生が教鞭をとっていた国である。この先生が1990年8月のイラクによるクウェート侵攻について実に詳しく解説してくれ、そのことが国際政治に関心を抱いたきっかけとなったことはこれまでにも何度か触れたと思う。本来であればバーレーン経由でサウジに入国したかったのであるが、それはかなわなかった。だが、バーレーン上空を経てサウジ入りをできたことはやはり「幸運」であったと思う。

ジェッダには定刻通りの16時過ぎに着陸した。小学校4年生の時に国際政治に関心を抱き、23年の時を経て中東の地に来られたことは実に感慨深いことである。奇しくもサウジに到着した3月19日は2003年にアメリカがイラクに対して宣戦布告をしたまさにその日であった。何かの「宿命」を感じざるをえない日に自分は中東の地に降り立ったのである。しかしこの時点ではまだ「到着」にすぎない。この後の「入国」と入国後に際してスリリングな事態が起きたのだが、それはまた後日書くこととしよう。