「私は今でも、毎日英語を勉強するんです。そうしないと自分の英語力のレベルアップだけでなく、維持することもできないのです」。

大学時代にハーバード大学の入江昭先生のお話を聞いた時であったと思うが、そんな話をされていた。先日、本社から来られた役員さんの講話の中で全く同じようなエピソードがいくつか紹介された。会長の手帳には英語がびっしりと書かれていて毎日アップデートされているとか、ある部長は英国駐在の折にスラングの果てまでメモをして英語力の向上を常に図っていたのだという。ちなみにこの部長は今でも毎日英語のリスニングを欠かさないという話を別の方から聞いたことがある。

著名なプロ・ゲーマーの梅原大吾氏なども、その著書『勝ち続ける意志力』や講演の中で「10年継続できる努力」の重要性を説いていたが、「継続は力なり」とはよく言ったもので、英語に限らず自分で伸ばしたいと思う能力については知らず知らずのうちに「貪欲さ」を持ち続けるものなのだと思う。高い能力を身につけたとしても決してそれに満足することなく、さらなる高みを目指すことをやめない。スティーブ・ジョブズが有名な"Stay hungry, stay foolish"と言った背景にもそういう考えがあったのだと思う。

自分自身を振り返って、10年以上継続して取り組んできたものが何かあるだろうかと考えてみると、「読書」と「文章を書くこと」があげられる。両方とも大学入学以降は習慣化されていることを考えると、15年くらいは継続しているということになる。毎日欠かさずというわけではないし、プロフェッショナルの領域には当然達していないけど、「15年以上ほぼ継続して」と言うことはできる。

両方とも心底満足をしたことがないということを考えると、「貪欲さ」は維持されているのではないかと思う。読書をする度に、「この点についてはもっと知りたいから、こういう本を読まねば」と思うし、「この文章はこういう書き方の方がよかったな」と思う。おそらく生きている間に「この分野の知識は完全に吸収した」とか、「最高の文章が書けた」などと思うことはないだろう。たとえ他の人に賞賛されたとしても、それに自分が満足できるかどうかは別問題である。

もちろん全ての物事に対して「貪欲」であり続けることというのは難しいし、そんなことをすれば人生は恐ろしく辛く、苦しいものとなってしまうだろう。人間が不完全な存在ではない以上、ある物事についてどこかで「諦める」ということもしつつ、「これだけはとことんこだわってみたい」というものをいくつか持っておくことが大切なのだと思う。