サウジアラビアに赴任して昨日でちょうど2ヶ月が経過した。ある人事担当者によると海外赴任には「3」にまつわるジンクスがあるのだという。海外赴任社は3ヶ月で生活になれることで生活上の不満があらわになったり、「緊張感」を失うことでトラブルに巻き込まれやすいのだという。

もっともサウジアラビアに来てから不満が全くないわけではない。タクシーは時間通りに来ないし、お湯は出ないし、シャワーの水圧は低い、トイレは汚いし、ネットの環境はそんなに良くない、エロサイトは見られないし、お酒も飲めない。不満をあげたらキリがない。それでも、許容できない不便さというわけではない。一度「ここはそういう国だ」と受け入れてしまえば、大して気にはならない。

この2ヶ月間仕事をしていて、今のところサウジアラビアの「弱点」というものを強く感じたことは多くなく、逆に日本や日本人の「弱点」というものを強く感じるようになった。一言で表現してしまうと、日本人というのは良く言えば福祉国家に、悪く言えば全体主義国家に慣れきってしまっているということである。とにかく個人が国や企業といったものに大きく依存しきっている。

海外勤務をする際、赴任時の空港の出迎えから住居の手配、通勤の手段や方法、食事、トラブル・シューティング、余暇の活動に至るまで、とにかく会社に依存しきっており、会社側も赴任者側もそれを当然のことと考えている。会社側は赴任者を徹底的に管理したがるし、赴任者側は次から次へと会社側に要望を言う。日本企業以外での経験がないため軽々に言うことはできないが、「海外赴任者ほどわがままになる」というのは日系企業の特徴ではないだろうか?

会社側はこの前提に立って海外赴任に関する各種制度を構築するため、日系企業における海外勤務コストというものは非常に高くついているように思える。海外勤務手当、危険地手当といった給与面での優遇の他、住居や交通手段、医療、その他各種のサービスを手厚く受けることができる。しかし、よく考えてほしい。それらは全て生産される財・サービスに原価として算入される。つまり、海外赴任者の「わがまま」がコスト削減の大きな障害となっているということである。

これは果たして持続可能なモデルなのだろうか?仕事の水準が日本よりも付加価値の高いものであればまだしも、日本と同レベルかそれよりも低いレベルだとすれば(それは主に語学力や環境適応力の問題から生じるが)、その他の安価なコストで得ているメリットと相殺されてしまう。会社側が高待遇を準備し、赴任者側はさらなる高待遇を求める。こんなモデルでは日系企業はいずれ競争力を失う。いや、既に失いつつある。

もしも世界での競争力を維持したいと思うのであれば、日本人は福祉国家的・全体主義国家的会社観を改めた方がよい。会社が全ての面倒を見てくれるという時代はとっくの昔に終わっている。そんな幻想を抱いた上での海外勤務など、今後は間違いなく少なくなる。