読書にまつわる本で本当に感銘を受けたのは、立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』、佐藤優の『読書の技法』、松岡正剛の『千夜千冊』である。松岡のは書籍として購入するのには高価すぎるため、もっぱらウェブサイトの方で読むようにしている。この三者に共通するのは、長い時間をかけて読んできた書籍、蓄積してきた文字通り「教養」がその作品と文体に表れていることである。

膨大な読書量を誇り、教養を蓄積したとしても、それが文章に現れるかどうかというのは、文章を書くことを生業としているか否かや編集者の腕によるところが大きいのだと思う。立花隆の場合、偉大な文筆家であると同時に優れた編集力を兼ね揃えた人物であるし、佐藤優の場合は元々文筆を生業とはしていなかったものの、情報分析官としての情報整理術(言い換えれば「編集力」である)を備えている人物であるし、松岡正剛の場合は自他ともに認める「編集者」であり、その編集力には定評がある。

友人たちが軒並み薦めてくれた中で大変心苦しくはあるのだが、上述の三者の読書にまつわる著作を読んだ後だと、現在ベストセラーになっている出口治明の『ビジネスに効く最強の「読書」』は非常に物足りない内容に思える。

ビジネスに効く最強の「読書」 本当の教養が身につく108冊/日経BP社

¥1,512
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出口氏が大変な読書家であり、教養のある人物であることは間違いないだろう。ただ、本書で紹介されている本の数冊を読んだことのある人間(私の場合は108冊のうちわずかに20冊程度であった)であっても、その内容紹介は実に物足りないものであった。出口氏が現役のベンチャー企業経営者(ライフネット生命会長兼CEO)であるということを考えると、忙しさの中で満足の行く内容のものが書けなかったのではないかと邪推する。ちょうど池上彰氏が池上彰ブームに実は戸惑いを覚えているのではないかという邪推(詳しくは「池上彰をめぐる複雑な感情」を参照)と同じようなものである。

著者自身としてはあまり納得はしていない仕上がりであるのにもかかわらず、出版社の都合(つまり販売することだ)によって上梓されてしまったのではないだろうか?購買層が池上彰の著作同様「ライトなもの」を好む人達であることを考えると、多少完成度が低くても売れてしまうし、それなりの評価を得られてしまう。(実際そうなったと思う)。

本書を読み終えて私が強く感じたのは、「物足りない」と思う内容であっても世間では広く受け入れられてしまい、それがもっともらしく語られてしまうということである。タイトルにもある通り、本書は「ビジネス・パーソン」向けに書かれたものであろう。日本のビジネス・パーソンの多くが大学という高等教育を受けている人たちであることを考えると、本書に感銘を受けるということはまともな大学において教養教育を享受してこなかった、あるいは自身の選択として読書を行ってこなかった、教養を身につけてこなかったということになる。この事実が非常に衝撃的なのである。

池上彰の著作もそうであるが、読者の多くは「効率的に知識を身につける」ことを目的としていると思う。だが、もう少し長い時間をかけてじっくりと養うという発想はできないものだろうか?