日本での休暇中には実に多くの方々と会う機会に恵まれた。予備校時代の友人、大学時代の友人、大阪勤務時代の上司と同僚、社会人になってからの友人などである。とりわけ、社会人になってからの友人はここ3年以内に読書会などを通じて知り合った方々が多かった。様々な人たちとお会いしてつくづく思ったのは、「良い友人に恵まれた」という一言に尽きる。

今でこそ様々な友人に恵まれている方だと思うが、私は実は極度の人見知りである。(たぶん立食パーティーの類に同席されたことがある人はよくわかると思う)。未だに人見知りを克服したという実感はないけれども、昔はこれが本当にひどかった。

おそらく人見知りが激しかったのは高校時代であったと思う。そもそも自分の行きたい高校でなかったこともあって、入学当初からふて腐れていた。周りに積極的に声をかけるということをしなかったから、あっという間に孤立した。教科書に糊を塗られたということもあったから、よくよく考えてみるといじめに近いものも受けていたのだと思う。高校時代の友人は皆無と言ってよいだろう。事実、Facebook上で高校時代の友人はたったの一人だけである。人見知りであること、コミュニケーションを遮断したことは自分の人生の中の貴重な3年間を無駄にしたような気がする。この大きな後悔が、予備校時代以降できるだけ多くの友人を作るということにつながっていった。

たったの1年しか一緒になることがなく、人生の中で最もエゴイスティックにならなければならない時期に貴重な友人ができたことは得難い経験であると思う。予備校で学んだのはもう15年も前のことだけど、今でも年に1~2回程度は何人かで集まって色々と話せるというのは本当に貴重である。

ゼミやサークルを通じて共通の関心事や趣味に没頭できるわけだから、大学時代に友人が数多くできるのは多くの人にとってほぼ当たり前のことであると思う。比較的長い時間を共有することができることは絆をより深めることにもなるはずである。多くの人にとってそうであるように、私もまた大学時代に築いた友人関係は今なお貴重な財産となっているし、この時の「友人のつくり方」のようなものが社会人になってからもずいぶんと役に立っていると思う。

「一生をかけて付き合える友人は大人になってからはできない」。昔、父からそんなことを言われたことがある。ワインやウイスキーのように時間をかければかけるほど、「友人」というものは稀少価値を増してゆくということを言いたかったのだと思う。「そんなことはない」というのが私なりの答えだ。たしかに、長い時間をかけることは大切だと思うけど、付き合いが比較的浅い友人であっても自分にとってものすごくかけがいのない存在となることがあるからだ。こういう経験は常に人に対する興味を失わないということでしかできないと思う。

私が人見知りを改善する決定的なきっかけとなったのは就職活動の時だったと思う。兄から「徹底的にOB訪問をしろ」と言われ、30人くらいOB訪問をした。最初のOB訪問は、会社説明会の際にたまたまつかまえた何のつながりもない総合商社の方だった。いざOB訪問に行くまで、「何で縁もゆかりもない人とメシを食うのだろう?」と非常にネガティブに考えていた。だが、OB訪問の際に様々な話(主にオーストラリアにおける石炭ビジネスについて)を聞くことで、本当に楽しくて楽しくて仕方がなかった。

OB訪問が終わりに近付いた段階で、私はその方にこう言った。「実は今日ここに来るまで、OB訪問なんて意味があるのだろうかと思っていました。見ず知らずの人とメシを食いながら、一塊の学生が仕事についてあれこれ聞く。そんなことで何を得られるのだろうか、そう思っていました。でも、実際にOB訪問を行って、仕事のお話を聞いて、自分もこういうビジネスをやってみたいというイメージがわきました」と。

すると、その方はこう言った。「社会人になったらね、見ず知らずの人と話をする機会が圧倒的に多くなるんだよ。今はその練習だと思ってたくさんの人に会ってごらん」と。この言葉をいただけただけで、そのOB訪問は本当に価値のあるものになったと思う。結果的に、このOB訪問をきっかけに「一人でも多くの社会人に会う」という気概を持つこととなった。長い目で見てみれば、この経験が社会人になってからもできるだけ多くの人と会ってみるという考え方につながったと思う。

常に新しい人と知り合う挑戦を怠らないこと、この考えが自分に浸透しつつあるのだと思う。これまではそれが日本という国に限定されていたけど、今はそうではない。世界というほど大きな舞台ではないけど、様々な国の人々が集まるサウジアラビアという国でその挑戦は続く。