日本で仕事をしてゆく上では、「階級」というものを感じる機会はそう多くはないだろう。会社にもよると思うが、課長や部長クラスが大部屋で一般社員とともに仕事をするというのは決して珍しい光景ではないはずだ。私がサウジアラビアに赴任して驚いたのは、課長クラス以上は基本的に個室をあてがわれるということである。個室の広さや机の大きさはその人の役職の高さに比例し、役職の高い者は高い報酬が保証され、相応の扱いと敬意が払われる。そしてそのことには当然、「責任」というものがともなう。これはおそらくサウジアラビアに限らず、海外で仕事をする際には当たり前のことなのかもしれない。

私の海外勤務経験はサウジアラビアのみであるからあくまでこの国での経験に基づいている。この国では「階級」が異なれば、報酬、住環境、食事、自動車などのあらゆる物事が異なる。高い役職に就いている者には専用の車と運転手があてがわれるが、一般社員であってもマネジメント層やエンジニア層には防弾仕様でエアコンの完備されたバスがあてがわれる。一方でブルーカラー層には中古のボンネットバスがあてがわれ、エアコンがついていないため窓は常に全開である。狭い車内に何人も押し込められる。

当然報酬にも大きな格差が存在する。除草作業や各種メンテナンスを行う労働者の場合、1か月の給料は大体500SAR(約14,000円)と聞いたことがある。この500SARという金額は私の1か月のお弁当代である。(弁当は日本食レストランから取り寄せており、1食あたり25SAR(約700円)である)。住居や食事は別途会社側から現物支給されるとはいえ、サウジアラビアの物価水準から言えば決して満足な給与水準とはいえないだろう。彼らはこの決して満足が行くとは言えない給料から本国の家族に仕送りを行っている。

こういう現状を見てしまうと、彼らが作業をサボったり、サービス・レベルが低くなったりしてしまうことにも納得がゆく。適切なインセンティブがない以上は彼らが一生懸命仕事をすることは難しい。しかし、こういう厳しい現状の中でも実に一生懸命仕事を行う人間に対しては、その仕事がどんなに平易なものであれ、相応の経緯が払われるべきであると考える。例えば、毎日自分のデスクのごみを片付けに来るインド人の青年労働者に対しては必ず”Thank you very much ! ”と声をかけ、労いの意味も込めてお菓子をあげることにしている。(お菓子をあげること自体が良いことかどうかはわからない。ただし、少なくとも彼は喜んでくれる)。

「階級」というものが存在することについてその善し悪しを語ることは難しい。しかしそれでも「階級」というものが厳然と存在する。それがサウジアラビアという国である。幸か不幸か、自分はこの国では専門職の「ホワイトカラー」と見なされ、ブルーカラー層よりも比較的高い報酬、快適な住環境、美味しい食事(ほぼ毎日日本食を食べることが可能である)、安全な自動車を保証されている。

高待遇を受けているがゆえに、「自分はそれだけ価値のある仕事を行っているだろうか?」と常に自問する。自分の場合、たまたま日本という国に生まれ、標準的な教育を受け、現在の会社に入社したがゆえに高待遇を受けているに過ぎない。もし、貧しい国に生まれ、まともな教育を受けることができなかったら(教育を受ける意思があってもチャンスが保証されていないかもしれない)、1か月500SARの肉体労働に従事していてもおかしくないだろう。

このように考えて行くと、決して高い役職に就いていないとしても、いい加減に仕事をするということはできない。私自身はエリートでも何でもないけれども、ある種の”Noblesse Oblige”のようなものが湧き出てくるのである。比較的高い待遇を受けている以上は、それだけの成果をあげなくてはならない、と。高待遇を受けている日本人は私だけではないだろう。もちろん私の働く会社以外にも高待遇を保証している会社はあるはずである。そこで働く日本人に問いたい。「あなたは待遇に見合うだけの仕事をしているのか?」と。