昨日News Picksに掲載された「駐在員妻は見た!」に触発され、また友人から「書いてみたら?」と言われて、「サウジ駐在員が見た酒と女の事情」をアメブロに書いてNews Picksのコメント欄で紹介したところ、期せずしてNews Picks本体の方でも紹介された。記事の順序としては完全に逆なのだけど、今回なぜわざわざ「駐在員妻は見た!」に対抗するかのような形で記事を書いたかについてこの場で説明をしたい。

「駐在員妻は見た!」の記事は多くの人にとって未知の国であるサウジアラビアでの生活について扱っているため、サウジアラビアという国を知らない人たちにとっては非常に興味深いものに映ったと思う。このコラムの中では私自身が赴任してからの半年で経験したり、見聞きしたことも含まれており、「そうそう」と思うものが数多く含まれていた。ただ、私自身としては何となく「物足りない記事だな」と思ったのも事実である。

では、なぜ「物足りない」と思ってしまったのだろうか?それは、コラムの筆者がサウジアラビアという国をややステレオタイプ的に語ってしまうことで、さらに「遠い国」へと仕立てあげてしまったことにある。残念ながら、そして予想通り、読者から寄せられたコメントの大半はサウジでの生活に対してネガティブなものであった。しかしながら、読者から寄せられたコメントはあくまで筆者の描いた「サウジアラビア」に対するものであって、サウジ国内にいる在留邦人のサウジアラビア観のひとつにすぎない。ところが、そのたったひとつのサウジアラビア観が、さも在留邦人のコンセンサスであるかのように捉えられ、多くの読者に比較的ネガティブにコメントされることが残念であった。

サウジアラビア国内には800人あまり(2014年4月現在、外務省調べ)の日本人が住んでいる。これは近隣のUAEの約3,400人、カタールの1,100人と比べると少ない。(参考までにサウジの人口は2,920万人、UAEは921万人、カタールは202万人である)。サウジアラビアの情報について日本語で発信する人が少ないことを考えると、日本人のサウジアラビア観は極めて少数派によって形成されることとなる。情報源が少なければ少ないほど、情報源の属性や主観に左右されやすいということは十分に意識されるべきだろう。

コラムの筆者が女性であることは、残念ながら自動的にサウジ国内での活動に様々な制約が課せられてしまうということを意味する。サウジにおいては成人女性が単独で行動することが非常に難しいためである。(サウジ国内では女性は自動車の運転はおろか、自転車に乗ることも許されない)。これはイスラム教の戒律で定められていることであり、この戒律は在留する非ムスリムの外国人に対しても適用される。とすれば、筆者の女性のエピソードの多くは必然的に夫と同時に経験したことや、夫からの伝聞に基づいたものとならざるを得ない。もちろんタイトルに「駐在員妻」という文言がつくことから、女性特有の視点で描くことは可能である。しかし、女性であるがゆえに見えないこと、経験することができないサウジアラビアというものも少なからず存在するのである。

私が書きたいのは私が実際に見て、経験して、感じて、考えたサウジアラビアである。件の筆者が、おそらくペルシア湾岸の東部州在住の駐在員妻であるのに対して、私は紅海沿岸のメッカ州在住の駐在員であり、あらゆる面で正反対の立場にいる。アメリカで言えば、ニューヨーク在住の駐在員妻とサンフランシスコ在住の駐在員くらいの違いがあるだろう。この全く異なる立場の人間が、同じ国について考えることで、読者のサウジアラビアに対する見方に少しだけバリエーションつけることができないだろうか?

もちろん私の考えるサウジアラビアというものも800人いる在留邦人の一つの見方にすぎない。私自身はアラビア語は全くしゃべれないし、英語も決して流暢な方ではない。サウジアラビアへの赴任は2014年の3月であり、ようやく赴任から6カ月が経過し、少しずつこの国に慣れてきたに過ぎない。そのためサウジアラビアについて知り尽くしている人間とは到底言えない。それでもこの国で起こる様々な出来事にある時は挑戦し、ある時は行動し、ある時は観察し、ある時は調査し、ある時は考えてきた。その一端を紹介することで、少しでも多くの人にサウジアラビアという国について知ってもらえれば幸いである。