先日友人がFBで「吃饭了吗?」という中国語のあいさつについてふれていた。元来は「ご飯食べた?」という意味なのだそうだが、転じて「你好」よりも非常にカジュアルなあいさつなのだという。中国は貧しい時代が長く続いたから、周りの人がきちんとご飯を食べたかどうかを確認することが日常的に行われていたというのが、この言葉があいさつになった由来なのだという。

アラビア語でも「アッサラーム・アレイクム」というあいさつが日常的に使われる。直訳すると「平安があなたとともにありますように」という意味であり、朝昼晩、別れる時など、場面に関わらずよく使われるあいさつである。単に「アッサラーム」ということもあり、これは「平安を!」と言っていることになる。意味から考えると韓国語・朝鮮語の「アンニョハセヨ」や短縮形の「アンニョン」と変わらない。以前書いたことがあるが、「アッサラーム・アレイクム」はヘブライ語の「シャローム・アレーヘム」というあいさつがアラブ化したものであり、ヘブライ語でも「平安があなたとともにありますように」という意味を持つのだという。

私はこの「アッサラーム・アレイクム」という言葉が大好きで、同僚のアラブ人に対してもよく使うし、初対面のアラブ人にもよく使う。自分の母国語であいさつをされるのがよっぽど嬉しいようで、彼らはいつも笑顔で「ワッレイクム・アッサラーム」(あなたにこそ平安でありますように)と返してくれる。私はアラビア語は全くしゃべれないのだけど、会話の節々(自己紹介やお礼など)に知っているアラビア語を混ぜると彼らは本当に喜んでくれる。

昨日も会議が終わったところで”Thank you very much !”の代わりに「シュクラン・ジャズィーラン!」と言ったら、アラブ人のマネジャーが「シュクラン・ジャズィーランの意味わかるんだ!」とずいぶん感心していて、自分の知っている日本語のあいさつを色々と話し始めた。自分も少しずつアラビア語を覚えているけど、同じことをアラブ人もやっているのだと思うと何だか嬉しい。結局のところ、人間は相手にとって「未知」であろうことを相手が「知っている」ということに気付くと妙な安心感を覚えるし、そこから信頼というものも生まれるのだろう。

日本人がアラビア語を初めて見た時の反応は「変な文字だな」というものだと思うけど、アラブ人が日本語を見る時にもほぼ同じ反応をすると思う。お互い変わった言語だなと思いつつも、身近なあいさつから関心を抱いてゆき、少しずつ理解を深めてゆくというのは良い傾向だと思う。

加えて、単純にあいさつの「音」だけではなく、あいさつの本来の「意味」まで理解しようとする姿勢を示すことは相手の言語に敬意を払うということにつながるのだと思う。単純に「アッサラーム・アレイクム」という「音」だけではなく、「平安があなたとともにありますように」という意味まで理解することで、その言語の裏にある「哲学」まで読み取れると思うのである。