2週間の一時帰国休暇を終えて、サウジアラビアに戻ってきた。今回は行きも帰りも大きなトラブルに巻き込まれることもなくスムーズに出入国ができた。特に再入国にあたっては、着陸から入国審査、荷物受取、税関通過まで30分もかからず、「羽田並み」の快適な対応だった。サウジの出入国管理や荷物検査が非常に厳格なことはこれまでも何度かふれたことがあるが、出入国の繁忙期(ラマダン明け休暇やハッジ)でなければわりとスムーズにゆくのである。

さて、News Picksの「駐在員妻は見た!」のサウジアラビア編第3回では「お祈り」について扱われている。お祈りの際の商店や飲食店の対応、宗教警察の動きなどは概ね正確に書かれていると思う。今回は私なりに見聞きしたお祈りやムスリムの事情について書いてみたいと思う。

まだ夜明け前の早朝、正午前後、15~16時頃、日没、日没から1時間半後くらいにモスクのミナレット(尖塔)のスピーカーから大音量で「アザーン」と呼ばれるお祈りの呼びかけが流れる。宗派によって微妙に異なるというが(それゆえにアザーンを聞けばその地域がどの宗派に属するかがわかるという)、私が耳コピして覚えたアザーンは次のようなものである。

アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)
アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)
アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)
アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)

アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラッラー(アッラーの他に神は無しと私は証言する)
アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラッラー(アッラーの他に神は無しと私は証言する)

アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスルッラー(ムハンマドは神の使徒なりと私は証言する)
アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスルッラー(ムハンマドは神の使徒なりと私は証言する)

ハイヤー・アラッサラー(いざや礼拝へ来たれ)
ハイヤー・アラッサラー(いざや礼拝へ来たれ)

ハイヤー・アラルファラー(いざや救いのために来たれ)
ハイヤー・アラルファラー(いざや救いのために来たれ)

アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)
アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)

ラー・イラーハ・イラッラー(アッラーの他に神は無し)


なお、Youtubeで「アザーン」で検索すると、世界各国のアザーンを見ることができる。宗派や地域によって文言が微妙に異なったり、朗詠する人によって抑揚のつけ方が微妙に異なったりする。ここで紹介するのは聖地メッカのモスクで流れるアザーンであり、そういう意味では「由緒正しい」と言えるアザーンだろう。

コラムの方でも紹介されている通り、スマートフォンのアプリで”Prayer Time”と検索するといくつかの「お祈り」用のアプリが出てくる。機能としてはお祈りの時間を正確に知らせてくれると同時に、「キブラ」と呼ばれるメッカのカアバ神殿の方向を指し示すコンパス、ヒジュラ暦対応表、最寄りのモスクを教えてくれる地図などがついている。私も業務(スケジュール管理上、ヒジュラ暦が必要となることがある)や生活上(コラム同様、主に休日の買い物の際の営業時間を知るため)の必要性から重宝している。

コラムの中ではお祈りによって買い物が中断されることや生産活動が阻害されているということがやや批判的なタッチで描かれている。しかしよくよく考えてみると、消費活動という発想も、生産活動が阻害されているという発想も、西欧発の資本主義的な発想にすぎない。資本主義国家に生きる我々にとっては労働生産性を重視することが当たり前であっても、ムスリムにとってそれは当たり前のことではない。ムスリムにとっては「神との対話」であるお祈りは他のいかなる活動よりも尊いのであり、お祈りは他の活動を中止してでも没頭する価値のあるものなのであろう。彼らにとって、「よく生きる」ためにお祈りは不可欠なものである。

ムスリムにとってお祈りが重要なものであることは間違いないが、それを規則正しく時間通りに行っているかというと必ずしもそうではないというのが私の肌感覚である。たしかに民間企業や政府機関の営業時間や就業時間は基本的にお祈りを意識して設計されているものであると言える。私の会社では朝7時に始業し、15時半に終業となるが、これはゾフル(大体12時~13時の間)とアフル(大体15時~16時の間)のお祈りの時間を意識したものとなっている。非常に敬虔なムスリムの場合はこれらの時間のお祈りを欠かさないが、多くのムスリムは仕事などを都合として時間通りにお祈りを行うことはなく、その代わりに後でまとめてお祈りを行うのだという。このまとめてお祈りを行うことは一般的なことのようで、決して「ズル」とか「サボり」の類のものではないようである。

私の経験ではジェッダのスーパーやショッピングモール、飲食店などでは、お祈りの時間にシャッターが下ろされ、店員がいなくなるという光景を見ても、店からお客が追い出されるという光景を見たことはない。確かに宗教警察のムタワが店の前に立ちはだかっていて、店員に対して早くシャッターを下ろすよう促す姿は見られる。しかしながら、ムスリムであっても非ムスリムであっても、お祈りの時間に店の中に残りレジを待ったり、買い物や食事を続ける姿もごく普通に見られる。ムスリムの場合、「あとでまとめてお祈りをする」のであれば、やりかけのことをわざわざ中断しないという現実的な選択肢を取る人も少なくないようである。

以前ジェッダのIKEAで買い物をした際に見たのは、お祈りの時間になっても買い物はやめない代わりに、買い物が終わったら駐車場で絨毯を広げてしっかりとお祈りをするというムスリムであった。理想的なお祈りは時間通りにということであろうが、色々な事情でそれが不可能である場合には柔軟性を発揮することも十分認められるようである。要するに、生きてゆく中で神の存在を認めて、神と対話する時間を設けることができればよいということなのかもしれない。

私がムスリムについて語る時、絶対に忘れられない光景がある。赴任して間もない頃のあるパーティーでの出来事である。パーティーでアラブ人の同僚と話が盛り上がっていたところで、お祈りを促すアザーンが流れ始めた。アザーンが流れ始めたのでお祈りに行けるように話をうまく打ち切った。すると彼は他のムスリムの同僚に対してただ一言"Go to pray ?"と促した。この"Go to pray ?"と彼が言った時の雰囲気が、「メシ行こか?」的な、非常に気軽な感じであった。元々お笑いのロッチの中岡に似た、非常にひょうきんなアラブ人なのだけど、この一言が彼の生活の一部にごく自然と「お祈り」というものが浸透していると実感させるものだった。

件の同僚は非常にカジュアルな感じでお祈りに行くのであるが、実は非常に敬虔なムスリムなのだろうと思わせることがラマダンの際のイフタール(日没後の食事会)の際にあった。ラマダン中、ムスリムは夜明けから日没まで一切の物を口にしない。日没が近くなるとイフタールの食事を準備するが、日没を肉眼で確認するまでは決して食事に手をつけない。多くのムスリムたちが日没と同時に食事を始める中、彼は天を仰ぎ手を広げて1分間ほど何やらぶつぶつとつぶやいている。食事にありつけることを神に感謝しているとのことだったが、こういうことを普通に行えるというのはよほどの信仰心があってのことなのだと思った。

サウジアラビアはメッカ、メディナという二つの聖地を有しているということもあるが、この国の人々はイスラム教という宗教に大きな誇りを持っている。それゆえに、大卒エリートであろうが、門番であろうが、運転手であろうが、皆コーランやイスラム教の歴史について詳しい。外国人や異教徒に対しても臆することなくコーランやイスラム教の歴史について語りたがる。おそらく生まれた時からイスラムの教えに基づいて生きてゆくことで、生活の中に信仰というものが浸透しているということなのだろう。

9.11テロ以降、イスラム教をめぐっては比較的ネガティブな印象が強くなってしまった。しかし、ネガティブな印象を強めた原因は「原理主義者」たちによる「暴力」のゆえである。「原理主義者」はイスラム教だけではなく、キリスト教にも、ユダヤ教にも、ヒンズー教にも存在し、それぞれが「暴力」を行使した実績がある。人間の生活を律し、心の平安をもたらすものである限り宗教は価値のあるものであろう。この点でマルクスの「宗教はアヘンだ」という言葉は間違っている。マルクスの言葉が正しさを持つのは、宗教というものが人間の生命や尊厳を脅かす時であろう。

少なくとも私がこの7ヶ月で目にしたムスリムの現状はイスラムの教えが生活の中に浸透しつつも、適度に「いい加減さ」もあるムスリムたちである。それは折にふれて様々な宗教を体験する日本人(クリスマスを祝い、除夜の鐘を聞き、神社に初詣をする日本人)と大して変わらないように思える。聖職者にならない限りは、どの宗教においても個人の信仰心の程度は異なるし、多くの場合それは許容されるのである。


【追記】
News Picksのコラムでは、お祈りがあたかもサウジアラビアの子どもたちの肥満を助長しているかのような書き方がなされているが、私自身はこの説明に異論を唱えておきたい。

サウジアラビアにおいては老若男女を問わず肥満は深刻な問題であり、糖尿病患者が非常に多いということは事実である。しかしながらそれは、イスラム教という宗教とは何ら関係のないことであると思う。肥満の原因として考えられるのは、高カロリー、高糖質、高脂肪の食品が蔓延していることと、暑さゆえに運動を忌避することに起因するというのが私の考えである。

土着のアラビア料理も油を多用し、炭水化物が多いということも肥満のひとつの要因と考えることができる。しかしながら、サウジアラビア国内のスーパーマーケットや外食事情を観察するとよくわかるが、欧米系食品メーカーや外食産業のジャンクフードが溢れているという現状がある。欧米系の食品メーカーや外食産業がサウジの肥満を支えているという点も見逃せない。

なお、サウジアラビアの肥満問題とは直接関係ないが、スーパーマーケットを観察して考えたことはについてはこちらを参考にしていただければと思う。