2月11日は日本のいわゆる「建国記念の日」である。この日に合わせて日本青年会議所(JC)が建国に関する意識調査を行ったところ、日本が建国された日を知っている日本人が2割未満であるとの結果が出たという。中国が100%、アメリカ、カナダ9割程度という結果と比較すると、日本人の建国に関する意識は低いというのがJCと調査結果を報じた産経新聞の見解である。

中国やアメリカ、カナダの「建国」は比較的最近の歴史的事象であり、正確な年月日を特定することが可能であるのに対して、日本の「建国の日」とされる2月11日は明治になってから神話上の神武天皇の即位の年月日を逆算した(しかも具体的な計算方法については明らかにされていない)、きわめて不正確なものに他ならない。要するに国民国家統合を行う過程で、想像された上で創造された日付であり、近代国民国家の「建国記念日」の根拠としては実にお粗末なものである。

もっともそんなお粗末な根拠であっても、戦前は「紀元節」として祭日とされて、教育機関や全国の神社(つまりは旧内務省の出先機関である)では「紀元節祭」が執り行われた。政府によって毎年大々的にキャンペーンが張られたことで、いつしか「紀元節がはるか昔からあったかのような錯覚」が形成された。ちなみに「紀元節」が宮中で初めて祝われたのは1873年(明治6年、皇紀2533年)とされ、それ以前に紀元節が祝われたという事実は確認できない。神武開闢後2675年の歴史を有することになるが、そのうちの2530年以上は「紀元節祭」が行われたかどうかは疑わしく、とても「伝統がある」とは言えない。

中国やアメリカ、カナダのように「近代国民国家」として2月11日を「建国記念日」を設定したいのであれば、根拠の不明確な「紀元節」を持ち出さず、「大日本帝国憲法発布」を基準とすればよいように思う。(もちろん大日本帝国憲法の発布日が2月11日となったのは「紀元節」を強く意識したものである)。そちらの根拠の方が、「立憲君主制」、「主権国家」、「国民国家」という観点からはるかに明確であり、歴史的事実と紐づいたものであると考える。

以前、「記念日をきまじめに」という記事の中でも書いた通り、「国民国家」における「記念日」は、「歴史」の共有と「国民意識」の強化のためにこそ存在する。「記念日」の存在が「国民」を分断してしまうのであれば、それは「記念日」の本来の目的に適っているとは言えない。「建国記念の日」は少なくとも現在ではその背景が十分に「共有」されているとは言い難いし、戦前の「紀元節」にその起源を求めるのであればそもそもの歴史的根拠が薄弱(皆無と言い換えてもよいだろう)である。「国民意識」の強化を意図するのであれば、明確な歴史的根拠を持たせる必要があると考える。