サウジアラビアのサルマン国王は即位から3か月を経て、4月29日に皇太子の交代と内閣改造を実施した。これまで皇太子の地位にあったムクリン・ビン・アブドゥルアズィズ王子が皇太子と第一副首相を退任し、副皇太子のムハンマド・ビン・ナーイフ王子が皇太子に昇格し、副皇太子にムハンマド・ビン・サルマン王子が就任した。ムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子は第一副首相と内相、政治安全保障会議議長を兼務し、ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子は第二副首相と国防相、経済開発問題会議議長を兼務することとなった。

ムクリン前皇太子と同時に40年にわたってサウジアラビアの外交を担ってきたサウード・アル・ファイサル外相も退任した。サウジ国内の報道によればムクリン前皇太子もサウド前外相も「自らの意思で退任した」ことが強調されているが、ムクリン前皇太子が皇太子と同時に第一副首相も退き無役になったのに対して、サウード前外相は外相を退いたものの外交・安全保障政策を担当する国務相として閣内に留まった。これらの事実を考えると、二人の退任には随分と温度差がある。

ムクリン前皇太子は初代アブドゥルアズィズ国王の末子として生まれた。母親はイエメン系とされ、サルマン国王とムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子の父親であるナーイフ・ビン・アブドゥルアズィズ元皇太子(故人)のように「スデイリ・セブン」の系譜には属さない。2014年3月にアブドゥラ前国王によって副皇太子に任命され、2015年1月の同国王の崩御にともなって皇太子に昇格したばかりであった。

空軍での経歴が長く、軍部の信頼も厚いことから、皇太子就任と同時に国防相も兼務するものと考えていたが、国防相にはサルマン国王の息子で軍歴のないムハンマド・ビン・サルマン王子が就任した。この時点で、ムクリン皇太子はサルマン国王に軽視されているのではないかと予測していたが、3か月で皇太子はおろか第一副首相も退いたという点を考えると「退任」というよりは「解任」と考えた方が自然であろう。

サウード前外相は第3代ファイサル国王の息子として生まれ、将来の国王として嘱望されていた人材である。しかしながら自身の健康不安もあり、早くから王位に関心がない旨を公言していた。1975年に外務大臣に就任して以来、一貫してその地位に留まり、ハーリド国王、ファハド国王、アブドゥラ国王、サルマン国王を支えてきた。なお、40年間の外務大臣在任は世界最長である。

サウード前外相の退任理由は「健康上の理由」とされる。パーキンソン病を患っており、これまでも度々アメリカで治療を受けていることが確認されている。今年1月のアブドゥラ国王の崩御の際にもアメリカで手術を受けていることから十分説得力のある理由と言えよう。「健康上の理由」を抱えながらも、完全な引退ではなく外交・安全保障政策担当の国務相として閣内にとどまる背景には、サルマン国王がサウード前外相の豊富な外交経験を必要としたからに他ならない。

二人のベテランの王子が表舞台から姿を消す一方、新たに台頭してきたのは第三世代(初代国王の孫の世代)に属する二人のムハンマド、ムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子とムハンマド・ビン・サルマン副皇太子である。二人の詳細についてはアブドゥラ前国王の崩御直後に書いた「二人のムハンマド」という記事も参考にされたい。

ムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子は1959年生まれの55歳で、ナーイフ元皇太子(2012年薨去)の息子であり、「スデイリ・セブン」の系譜に属する。民間企業で経験を積んだ後、1999年の内務次官就任以降は一貫して治安畑を歩んでおり、2009年と2010年には暗殺未遂事件にも遭いながらも、サウジアラビアにおける対テロリズムの象徴的存在となっている。国内でのテロ取り締まりにおいて着実に成果を上げてきた人物である。

ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子は1979年生まれの35歳とされ(1983年生まれとする説もある)、サルマン現国王の息子である。父親の側近としてリヤド州知事顧問、皇太子府長官、国務大臣として仕えてきた。軍歴はないものの、サルマン国王の即位と同時に父親の国防相の地位を襲った。2015年3月以降のイエメン空爆においては国防相として指揮している。

「二人のムハンマド」が内相と国防相に就任しているということは、サルマン国王が治安機関と軍部を自身に近い王族で固めたということである。「二人のムハンマド」を治安機関と軍のトップに据える一方、経験豊富なムクリン前皇太子を要職に就けないということで、サルマン国王は早くから「スデイリ・セブン」の系譜を再重視する姿勢を示していたと言えよう。

さて、今回の内閣改造では、外相に駐米大使のアデル・アル・ジュヴェイル氏が、保健相に国営石油会社サウジアラムコCEOのハリド・ファリハ氏がそれぞれ就任した一方で、進退が取り沙汰されていたヌアイミ石油鉱物相は留任した。ジュヴェイル氏の外相就任、ハリド・ファリハ氏の保健相就任は一見何の関係もなさそうであるが、実はヌアイミ後の石油鉱物相の人事に大きく関連してくるというのが私の見立てである。

従来、石油鉱物相がサウジアラムコ社のCEOを兼任していたが、今回は不自然に保健相と兼務するという形になった。ヌアイミ氏の後任として有力であったハリド・ファリハ氏は今回保健相に就任したことで、6月のOPEC総会後の勇退が予想されるヌアイミ氏の後任となる可能性はきわめて低くなったと言えよう。

では、ヌアイミ氏退任後の石油鉱物相には誰が就くのか?私は現石油鉱物副相の地位にあり、サルマン国王の息子であるアブドゥルアズィズ・ビン・サルマン王子が有力であると考えている。これまで石油鉱物相に王族が就任した事例はなく、全てテクノクラート出身者によって占められてきた。ところが、次期石油鉱物相最有力と言われたハリド・ファリハ氏が保健相に就任したことで、アブドゥルアズィズ王子の石油鉱物相就任の可能性が一気に高まったように思える。アブドゥルアズィズ王子は王族とはいえ、石油セクターでのキャリアが長いことから、ある種石油テクノクラートと言い換えることも可能である。もしアブドゥルアズィズ王子が石油鉱物相に就任した場合、サルマン国王と「スデイリ・セブン」の系譜による石油支配がなおいっそう強まることが予想される。

サウジアラビアの国章は剣(シミター)と椰子の木である。剣は正義や信仰に根ざす力を、椰子の木は生命力や成長、繁栄を表すとされる。サルマン国王は「スデイリ・セブン」という輝かしい系譜を頼りに、治安機関と軍という権力装置を手にすることで「剣」を、石油という富と繁栄の源泉を手にすることで「椰子の木」をそれぞれ手にするサウジ国王となるであろう。