最近愛用しているニュースサイトのコメントでよく使われるキーワードに「神の手」というものがある。この「神の手」というキーワードについて明確な定義があるわけではないが、氾濫しているコメントから抽象化すると次のようになるのではないだろうか?すなわち、「News Picks編集部が意図的あるいは恣意的にある特定の記事を優遇し、当該記事を総合トップ面に掲載することでユーザーのコメントを集めやすくすること」である。現在までのところNews Picks編集部が公式の記事でいわゆる「神の手」についてふれたことはない。しかしながら、ユーザーの中ではかなり人口に膾炙したキーワードとなっていることもあり、今回この「神の手」について考えてみることにした。

「神の手」とは、一般的に「人知の及ばない現象」に対する比喩表現として使われることが多い。政治経済学の世界で「神の手」と言う場合、経済学者アダム・スミスの『諸国民の富』の第4編第2章に登場することで有名である。アダム・スミスは自由主義市場における資源配分の調整機能を「見えざる手」(Invisible hand)と呼称し、一部で「神の手」と呼ばれるようになった。一方、サッカー・ファンにとっては1986年ワールドカップ・メキシコ大会の準々決勝アルゼンチン対イングランド戦の後半4分、アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ選手が手でゴールにボールを押し込み、反則とは認められずに得点をした故事に由来する。

News Picksのキーワード検索機能を用いて調べたところ、Pickerのコメントに「神の手」という言葉が初めて現れたのは2014年6月8日の「蹴られた軌跡まで記憶…頭脳を持ったサッカーボール」という記事におけるコメントである。(https://newspicks.com/news/472287) この記事へのコメントで「神の手」という表現を使っている人は、明らかにマラドーナの故事を意識していると考えられる。これ以降、数件のコメントで「神の手」という言葉が使われているが、いずれも「人知の及ばない現象」あるいは「本質を理解するのには複雑すぎる現象」について比喩的に説明する際に用いられているケースが多い。(アダム・スミスの唱える「神の手」について言及するケースも見られる)。

現在News Picksにおいて「神の手」という表現を多用している某氏(2015年8月16日現在目視確認の結果、いわゆる「神の手」に言及した回数は実に100回を超え、「神の手」シェアの17%を占める)は、2015年1月30日の「【第1話】暗雲!!ニッポンの家電メーカーにそれでも明日はある!?」(https://newspicks.com/news/808272)において初めて「神の手」という表現を用い、「就活市場に織りなされる、神の企んだ人気ランキングは何」という後続表現で、就職活動における「人気企業ランキング」に疑問を呈している。某氏が今日NPで多用されている意味でのいわゆる「神の手」についてコメントしたのは2015年4月28日の「日米同盟の本質、転換自衛隊の米軍支援、地球規模に」(https://newspicks.com/news/941893)の記事であり、某氏の代名詞とも言うべき朝日新聞、リベラル、左翼批判の文脈で使われている。これ以降、朝日新聞の記事が「優遇」されるたびに(某氏は朝日新聞記事が総合トップ面に出てくることを「優遇」と認識する)News Picksにおけるいわゆる「神の手」批判を行うというサイクルが本格化して行く。ちなみに某氏は、このいわゆる「神の手」疑惑をひとつの理由としてNews Picksの有料会員自体を退会したことを公言している。

某氏が繰り返し批判しているいわゆる「神の手」、つまり編集部が意図的あるいは恣意的にある特定の記事を優遇し、当該記事を総合トップ面に掲載するという事実は果たして本当に「存在」するのであろうか?いわゆる「神の手」の「存在」について言及しながら、某氏はその「存在」を客観性と実証性をもって証明しているわけではなく、単なる印象論の域を出ていない。残念ながら私はいわゆる「神の手」の「存在」について客観的かつ実証的に証明することができないと同時に、いわゆる「神の手」の「不存在」についてもまた客観的かつ実証的に証明することができない。そして客観的かつ実証的にその「存在」あるいは「不存在」を証明できない以上は、いわゆる「神の手」について言及すること自体が不毛であると考える。

ただ、某氏が繰り返し言及するいわゆる「神の手」について、もしそれが存在したとしても一体何が問題なのだろうか?「いや、何も問題はない」というのが私の考えである。そもそもあるキュレーション・メディアが何をキュレーティングし、何を総合トップ面に持ってくるかはそのメディアの「編集権」の問題であり、編集部や整理部(新聞社内にある紙面構成を決定する部署)がニュース価値を判断した上で決めるだけのことである。もしも当該メディアの編集部や整理部の「見せ方」が気に入らないのであれば、そのメディアのコンテンツを読まなければよいだけの話である。

またNews Picksというキュレーション・メディアの特性を考えると、キュレーターは編集部であると同時に我々ユーザーにあることも忘れてはならない。もしも多くの人に読んでほしい記事なのであれば、自らが「良質」と思う記事をPickして、多くの人に訴えるだけのコメントをすればよいだけの話である。自分自身がPickし、コメントした記事が多くの人に響かないのは、そもそも自分が「良質」と思い込んでいるだけで多くの人にとっては「良質」ではないのかもしれないし、単純に多くの人を共感させられるだけのコメントになっていなかったりということであると思う。


追記:
News Picksのコメントの方で一部私の事実誤認について指摘があったので、こちらでコメントをしておきたい。本文中で「現在までのところNews Picks編集部が公式の記事でいわゆる「神の手」についてふれたことはない」と書いたものの、実際には、2015年4月8日の「News Picksは真の経済メディアになれるのですか?」において、News Picksを運営する梅田優祐社長がが次の言い方でいわゆる「神の手」を認めていた。(http://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m000906.html)

「たとえば、NewsPicksには「総合トップ」というカテゴリーがあり、17の記事が並んでいます。ここは、まさに自由と統制の融合。5~7の記事は運営側が選び、残りは、ユーザーのピックに基づくアルゴリズムで選んでいます」。

News Picksの検索機能から当該記事を検索したところ、当該記事について私自身は特にPickもコメントもしていないことから今回の指摘を受けて初見の記事であることがわかったものの(ヘビー・ユーザーとはいえ全ての記事を読んでいるわけではない)、今回の記事を書くうえで極めて客観性と実証性を書いたことは事実であり、本記事の大部分、特に「神の手」の「存在」に関する部分にについて大きな誤りがあったことを率直に認め、お詫びする。

ただし、「編集権の独立」の部分については本記事において最も重要な部分であるという点は改めて強調したい。本来であれば、「誤り」と認めた部分については削除を行うことが適当であるとも考えるが、本追記においてその「誤り」を認め、謝罪を行うにあたって、「何が問題であったか?」という点を明らかにするためにも、原文をそのまま残すという措置を取りたい。