​新年早々サウジアラビアをめぐる情勢が緊迫している。サウジとイランの国交断絶以降、日本国内でもこのニュースに注目が集まっており、様々なメディアで両国の情報が報じられている。今回は先日のイランとの国交断絶について主に事実関係の整理を行ってみたいと思う。今回の記事執筆にあたってはNews Picksの関連記事へのコメントもベースとしているので、そちらも参照されたい。

1.ニムル師の処刑

サウジアラビアとイランの国交断絶の直接的な発端は1月2日にサウジのシーア派指導者であるニムル師が処刑されたことにある。ニムル師はサウジでも比較的シーア派系住民が多いとされる東部州アワミーヤの出身で、イランで宗教教育を受けたとされ、1990年代にサウジに戻りシーア派指導者としてサウジ政府に批判的な活動を行った。2011年の「アラブの春」においてもサウジ政府に批判的な活動を行い、サウジ国内のシーア派を扇動したとして2012年7月にサウジ当局によって逮捕され、2014年10月反逆罪、宗教扇動罪などで死刑判決が下っていた。(ニムル師の人物像については米ウォール・ストリート・ジャーナル紙の「サウジで処刑されたニムル師はどんな人物か」に詳しい)。

死刑判決以降、イランと国際人権団体はサウジ政府に対してニムル師の処刑を行わないよう要請していたものの、サウジ内務省は2016年1月2日にニムル師の死刑を執行したと発表した。ニムル師と同じタイミングで2003年~2006年に拘束したアルカイダ系のテロリスト46名の死刑も執行された。なお、今回の処刑においてシーア派が大量に処刑されたとの誤った認識が一部にあるようであるが、アルカイダ系テロリストはスンニ派の系譜に属するため、「シーア派の大量処刑」という認識は完全に誤りである。

2.在イラン・サウジアラビア公館の襲撃と国交断絶

ニムル師処刑の翌日の1月3日、テヘランのサウジアラビア大使館、マシャドの同総領事館前で抗議デモが行われ、暴徒化したイラン人が大使館・総領事館を破壊、放火するに至った。大使館・総領事館襲撃という事態を受けて、サウジのジュベイル外相は同日中にイランとの国交断絶を通告した。

今回の大使館・総領事館の襲撃がイラン政府によって行われたものではなく、市民の抗議活動が暴徒化したものであることを考えると、私はサウジ大使館・総領事館が襲撃された段階で少なくとも在テヘランのサウジ大使の召喚と、在リヤドのイラン外交使節団に対するペルソナ・ノン・グラータの発動の可能性が高いと考えていた。しかしながら、サウジ政府は大使召喚というプロセスを経ず、一気に国交断絶という手段を取ることとなった。イラン政府が1月5日の段階で、潘基文国連事務総長宛の書簡において「遺憾の意」(Regret)を表明しており、ニムル師の処刑とは別に「外交関係に関するウィーン条約」に(第22条2項に定める接受国の公館保護義務を怠ったこと)に違反したことを認め、今後同様の事態が発生させないことを約束している。

サウジアラビアとしては大使館・総領事館の襲撃はあくまで国交断絶のきっかけにすぎなかったというのが私の見立てである。大使館・総領事館が襲撃された際には館内に館員がいなかったと報道されている。襲撃のあった1月3日が日曜日であり、イスラム圏において平日であること(例外もあるがイスラム圏では金曜日と土曜日が休日である)を考えると、大使館・総領事館は通常業務を行っているはずである。通常業務を行うはずの平日に大使館・総領事館に人がいなかったとすれば、襲撃と国交断絶を予見し、館員が事前に引き上げていたと考えるのが自然だろう。サウジ大使館・総領事館は2日のニムル師の処刑前後に襲撃と国交断絶を察知して館員の引き上げを行っていた可能性が極めて高いと考える。

なお、サウジ政府は国交断絶と同時にイランとの民間航空機直行便の廃止、貿易関係の断絶も表明している。ただし、現段階ではイラン向けのウムラー・ビザ(小巡礼ビザ)とハッジ・ビザ(大巡礼ビザ)については発給を続けるとしており、サウジ政府側がイラン国内のシーア派に対して一定の宗教的配慮を行っていることがうかがえる。('Iranian pilgrims will not be barred from Saudi Arabia
'


日本国内の中東専門家の意見の多くは、国交断絶がただちにサウジとイランの戦争に発展することはないというものである。しかしながら、イエメンにおいてイランが支援するフーシ派と対峙していること、シリアにおいてスンニ派系反政府組織を通じてイランが支援するアサド政権と対峙していること、ペルシャ湾を隔てて国境を接しているという事実を考えると偶発的軍事衝突がエスカレートする可能性は否定できない。

偶発的軍事衝突が起きた時、外交関係があるとないとでは大きく異る。外交関係がある状態であれば、コミュニケーション・チャネルが確保されていることによって事態のエスカレートを防ぐことができる。これに対して外交関係がない状態であれば、コミュニケーション・チャネルが確保されていないことによって事態のエスカレートのみならず、新たな相互不信が醸成されてしまう。今回サウジが一方的に国交を断絶したことは、コミュニケーション・チャネルを閉ざしたという点で、非常に重要な外交資源を失ったと言える。(この記事を書いている途中で、イランが国営メディアを通じて在サヌアのイラン大使館がサウジの攻撃を受けたとの報道がなされた。現段階では事実確認が取れていないため、ここではコメントしないこととする)。

3.近隣諸国の反応

サウジが国交断絶を発表した翌日の1月4日には隣国のバーレーンがイランとの国交を断絶した。バーレーンは国民の70%がシーア派であるものの、ハリファ王家がスンニ派であることから「スンニ派国家」と位置付けられる。元々はペルシャ湾に浮かぶ島国であるが、サウジアラビアとは「キング・ファハド・コーズウェイ」という橋で地続きとなっており、サウジとの関係は非常に強い。

私はダンマンからコーズウェイ経由でバーレーンに入国し、滞在したことがある。バーレーン国内ではサウジアラビア・レアルがバーレーン・ディナールの10倍で通用し、バーレーン・ディナールでお釣りがくるという不思議な経験をした。通貨というものが国家主権の一部であると考えていた私は、この経験を通じてバーレーンという国がサウジアラビアの属国であるという事実を痛感した。

実際、バーレーンは2011年の「アラブの春」の際に起こったシーア派住民によるデモを鎮圧する際にサウジアラビア軍を主力とする湾岸協力会議(GCC)加盟国の軍事介入を求めており、サウジの属国としての色彩が極めて強いという点を指摘することができる。また、昨年12月にサウジ主導で発足したイスラム軍事連合にも参加している。今回他国に先駆けていち早くイランと国交を断絶した背景には、サウジへの政治的、軍事的、経済的依存が極めて強いことと無関係ではないだろう。

バーレーンと同じタイミングでサウジと紅海を隔てた隣国であるスーダンもイランとの国交を断絶した。スーダンは人口の70%がイスラム教徒であり、スンニ派が多数を占める。近年はバーレーン同様、サウジと政治的、経済的、軍事的な結びつきが強く、昨年12月にサウジ主導で発足したしたイスラム軍事連合にも参加している。

1月6日にはスーダン同様、サウジと紅海を隔てた隣国であるジブチもイランとの国交を断絶した。比較的知名度が低い国であるが、イスラム軍事連合参加国であり、アデン湾の海賊対策を行う上での戦略的要衝に位置する。日本ではあまり知られていないが、現在のところ日本の自衛隊が唯一有する海外拠点である。サウジがイエメン問題でもイランと対立していることを考えると、イエメンのアデン湾やバブ・エル・マンデブ海峡へアクセスする上でジブチを自陣営に迎え入れた戦略的重要性は極めて大きいと言える。

イランとの外交関係を残したものの、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、カタールがそれぞれ在テヘランの大使を召喚した。このうちUAEは外交関係の格下げを表明した。UAEとカタールが外交関係を維持した理由としては、近い将来経済制裁を解除されたイランが国際原油市場に復帰する可能性が高いことがあげられる。両国とも国際金融市場におけるハブ機能の強化を行っており、イランが国際原油市場に復帰する際には重要な取引相手となる可能性が否定できないため、外交関係を断絶するまでには至らなかった。一方で、クウェートが外交関係を断絶するに至らなかったのは、国内にシーア派系住民を30%程度抱えることに起因するのではないかと考える。(なお、UAEは22%、カタールは15%のシーア派系住民を抱えている)。

以上のように、GCC加盟国、スンニ派アラブ諸国であってもそれぞれの国情に応じてサウジへの同調について微妙な温度差が生じているというのが現実である。一方、GCC加盟国でありながら現時点で今回の事件に全く反応していない国としてオマーンがあげられる。オマーンはそもそもスンニ派でもシーア派でもないイバード派が多く、近年サウジ、イラン両国と良好な関係を維持していることから今後の対応に注目しておいた方が良いだろう。私はオマーンがどこかのタイミングでサウジとイランの仲介役として非常に重要な役割を担うのではないかと考えている。

また、湾岸諸国以外で特に注目すべき国としてトルコとパキスタンをあげておきたい。トルコはスンニ派国であるものの、サウジのみならず近年はイランとも比較的良好な関係にある。既にダウトオール首相がサウジ、イラン両国の仲介を行う容易があることを表明している。トルコによる仲介の打診は中東地域での影響力拡大を狙ったものであると考えられるが、シリア問題においてはアサド政権を認めないという姿勢をとっており、イランとは必ずしも利害が一致しているわけではないという点に注意する必要があるだろう。

パキスタンに注目する理由はパキスタンがイランと国境を接し、核保有国であるがゆえである。パキスタンの核兵器保有は一般的にはインドに対抗するものと理解されているが、パキスタンの核兵器開発にあたってはサウジが資金面で協力しており、これをもってサウジがパキスタンの核兵器のオーナーシップを持っているとも解することも可能である。今後パキスタンがイランに対してどのような姿勢を取るかという点に十分注意する必要があると考える。

4.原油価格への影響

当初私は今回のサウジの過剰とも言える強硬姿勢は、いわゆる「地政学リスク」を演出することによって原油価格の釣り上げを意図したものであると考えていた。原油価格下落が続く中、昨年12月18日にアメリカで40年ぶりに原油輸出を解禁する措置が講じられ、12月31日に米国産原油を積載したタンカーがテキサス州の港から出港したとの報道があった。昨年12月のOPEC総会において減産見送りを決めたものの、原油価格下落によってサウジの歳入が大きく落ち込んでいたことから、減産をせずに原油価格の釣り上げを図るためにサウジ自らが「地政学リスク」を演出するインセンティブは十分に存在した。

サウジが実際に原油価格釣り上げを図ったかどうかについては当事者にしかわからないことである。しかしながら、サウジ大使館・総領事館襲撃事件以降WTI価格は一時的に上昇に転じたものの、1月7日のWTI時間外取引では2008年のリーマン・ショック時につけた32.4USD/Bを下回り、2003年12月以来およそ12年ぶりの安値を記録している。現在の原油価格は「地政学リスク」よりも、供給過剰や中国経済の減速に起因する実需低迷を反映した形となっていると言えよう。

5.ホルムズ海峡封鎖はありえるのか?

仮にサウジとイランがペルシャ湾において直接衝突をした場合、安保法制の審議の過程で話題となったホルムズ海峡は封鎖されるのだろうか?私はその可能性は低いと思っている。

1枚目はアラビア半島とペルシャ湾の地図である。ホルムズ海峡はドバイの北東に位置するムサンダム半島とイランの間の海峡である。日本では意外と知られていないが、ムサンダム半島はオマーンの飛び地であり、ホルムズ海峡の国際航路はオマーン領海に位置する。ホルムズ海峡にイランが機雷を敷設するという場合、オマーン領海に機雷を敷設するということになるため、これはイランによるオマーンに対する戦争行為と見なすことができる。

map 01


万が一イランがオマーン領海に機雷を敷設するということになった場合、どのような影響が出るのだろうか?2枚目の地図はペルシャ湾北西部の地図である。

map 02


左側がサウジアラビアの東部州沿岸となる。カフジ、ジュバイル(ジュベイル)、ダンマーム(ダンマン)といった産油地、製油所、石油積出港が集中している。縮尺の関係で地名表示が出ていないが、ジュバイルとダンマームの間にはラス・タヌラがあり、世界最大級の製油所が置かれている。サウジで生産される原油のほとんどがペルシャ湾側に集中していることから、輸出に際してはホルムズ海峡を通ることとなる。

では、イランが原油輸出を行う上での拠点はどこであろうか?2枚目の地図の真ん中上部に"Khark"という小さな島がある。ハールク島と呼ばれるこの島はホルムズ海峡から北西に450kmほど離れた、ペルシャ湾最深部にある。このハールク島こそはイラン産原油積出の約9割が集中する島なのである。したがって、イラン産原油もまたホルムズ海峡を通らなければ輸出することが不可能なのである。つまり、万が一ホルムズ海峡が封鎖されることがあれば、サウジアラビアのみならずイランもまた原油輸出を行うことができなくなり、大きな経済的損失を被るということである。

安保法案審議の際にこの点を指摘した政治家は与野党の別なくおそらくいなかったはずである。私の付き合いのある石油業界関係者の間ではハールク島の存在はほぼ周知の事実であったが、国会の審議においてはこの点は完全に見落とされ、ホルムズ海峡封鎖の可能性がまことしやかに語られていたのである。