​今回はイエメン問題について少しまとめておきたいと思う。そもそも現在のイエメン情勢について、日本でほとんど報じられていないというのが現状であると思う。今回は、現在のイエメン情勢を概観した上で、先日の在サヌア・イラン大使館への「空爆」について整理してみたい。

1.イエメン情勢の概観

(1)イエメンの基礎情報

イエメン情勢を語る上ではイエメンの基礎的な地理が重要となるため、まずは地図を参照しながら簡単に説明しよう。イエメンはアラビア半島南部に位置し、北はサウジアラビア、東はオマーンと国境を接している。西は紅海に面しており、アフリカ大陸の小国ジブチとバブ・エル・マンデブ海峡をは隔てて対峙している。南はアデン湾に面している。地中海からスエズ運河、紅海、バブ・エル・マンデブ海峡、アデン湾を経てインド洋にアクセスするうえでの海上交通の要衝に位置する。

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首都は内陸部のサヌア(Sanaa)であるが、現在は反体制派のフーシ派とサーレハ元大統領派に占拠されているため、国際的に承認されているハディ暫定政権は南部の港湾都市アデンを拠点としている。1990年の南北イエメン統一までサヌアが北イエメン(イエメン・アラブ共和国)の首都、アデンが南イエメン(イエメン人民民主共和国)の首都であった。この他に主要都市としてはイエメン王国(1918~1962)の首都であった南西部のタイズ、南東部の港湾都市ムカッラーが挙げられる。

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人口は2,618万人(2014年、世界銀行)、民族は主にアラブ人、言語はアラビア語、宗教はイスラム教スンニ派が55%、同シーア派(主にザイド派)が42%、その他3%である。ザイド派は主に北部のサウジ国境付近に集中するとされる。

GDPは360億ドル、一人あたりGDPは1,408ドル(いずれも2013年、世界銀行)であり、隣国のサウジアラビア(GDP7,443億ドル、一人あたりGDP24,646ドル)、オマーン(GDP782億ドル、一人あたりGDP20,011ドル)と比較すると極めて低い水準にある。主要産業は石油・天然ガス、農業(特にコーヒー豆が著名)、漁業である。石油産出量は日量14.5万バレルであり、サウジアラビアの日量1,150.5万バレル、オマーンの日量94.3万バレルと比較して非常に少ない。(統計はいずれも2014年、BP)

(2)主要アクター

イエメン情勢を考える上で重要なアクターは以下の通りである。

①ハディ暫定大統領派
南部のアデンを拠点とし、スンニ派とされ、サウジをはじめとするアラブ・スンニ派諸国が支援している。2011年の「アラブの春」でサーレハ大統領が退陣した後、「GCCイニシアチブ」によって成立したアブドゥル・マンスール・ハディ暫定大統領が率いる。

②サーレハ元大統領派
北部で首都のサヌアを拠点とし、シーア派の一派とされるザイド派である。フーシ派と事実上連携している。2011年の「アラブの春」で失脚したサーレハ元大統領が率いる。

③フーシ派
サウジ国境付近のサアダ県、首都サヌアを拠点とするシーア派の一派とされるザイド派。イランの支援を受けているとされる。2014年9月に首都サヌアを制圧し、ハディ暫定大統領を辞任に追い込む。ムハンマド・アリ・アル・フーシ革命員会主席が率いる。

④アルカイダ系組織
東部のムカッラーを拠点とするとされる。スンニ派系で、フーシ派を対象にテロを展開する。

⑤「イスラム国」系組織
スンニ派系。主にサウジ国境付近やサヌアでフーシ派を対象としたテロを展開していたが、スンニ派のハディ暫定大統領派も攻撃対象にしている。

(3)近年の状況

近年のイエメンの混乱状況の端緒は2011年の「アラブの春」にある。より正確を期すのであれば、2010年にサーレハ大統領の後継問題が発生し、「アラブの春」という触媒によってイエメン騒乱へと発展した。2011年11月に湾岸協力会議(GCC)の調停案(GCCイニシアティブ)を受け入れ、同年12月にサーレハ大統領は退任し、ハディ副大統領への権限以上が図られた。ただし、サーレハはGCCイニシアティブ受け入れと引き換えに自らの刑事訴追免除と与党・国民会議(GPC)議長への留任という二つの勝ち取った。結局、この二つの条件が現在のイエメン内戦において重要な意味を持つこととなる。

2011年のイエメン騒乱に乗じて、ザイド派の武装組織であるフーシ派が北部のサアダ県を占領した。フーシ派はここを拠点としてハディ暫定政権に対する攻勢を強め、2014年9月に首都サヌアに侵攻した。サヌア侵攻後はハディ暫定大統領に多くの大統領令を出させることで政治の実権を握ったものの、2015年1月にハディ大統領を辞任させ、事実上のクーデターを成功させた。翌2月には議会を強制的に解散させ、権力を完全に掌握した。フーシ派の一連の権力掌握過程においては、GCCイニシアティブによって大統領退任を余儀なくされたサーレハ元大統領派との連携があったとされる。

フーシ派が2015年3月2日に南部のタイズを占領すると、サウジアラビアをはじめとするGCC諸国はフーシ派によるイエメン統一に危機感を強め始める。とりわけ南部の主要都市であり、国際海上交通の要衝であるアデンへのフーシ派の侵攻は避けなければならなかった。親イランのフーシ派がアデンを実効支配することは紅海からインド洋の出入口を封鎖されるに等しく、紅海側にジェッダとヤンブーという重要な港湾都市を持つサウジアラビアにとって深刻な脅威と認識された。結局3月25日にサウジが主導するアラブ連合軍がイエメンへの空爆を始めるに至った。

イエメン空爆は現在も続いており、国連の統計によればイエメン国内の民間人の死者は5,800名を超えたとされる。イエメン和平についてはこれまでに数回ジュネーブで開催されているものの、具体的な成果を得るには至っていない。サウジはイエメン空爆によって毎月1億7,500万ドル(210億円)を費やしているとの報道もある。原油価格の下落により歳入が大幅に減少していることを考えると、イエメン空爆の戦費は財政逼迫に拍車をかける結果をもたらしている。

2.在サヌア・イラン大使館への「空爆」

前回の記事を書いている途中で、イランが国営メディアを通じてサウジアラビアが在サヌアのイラン大使館を空爆したことに対して非難を行ったというニュースが入ってきた。事実関係が確認できなかったことから、前回の記事ではこの件について私はあえてふれなかった。今回の件について事実関係を整理すると以下のようになる。

①イランの主張
1月6日、サウジアラビアの空爆によって在サヌアのイラン大使館が損傷、負傷者が出た。

②サウジアラビアの主張
サウジが主導するアラブ連合軍は1月6日にサヌアへの空爆を実施したものの、イラン大使館周辺の空爆は行っていない。

③欧米メディアの報道
在サヌア・イラン大使館周辺住民への取材で「イラン大使館に損傷はない」との証言を得ている。

イラン、サウジの主張は真っ向から対立している。当事者双方の主張が真っ向から対立している場合、どちらかが嘘をついているということになる。イラン、サウジ両国の政治体制を考慮した場合、それぞれの発表に少なからずプロパガンダ的要素が含まれるという点に注意する必要がある。今回、欧米メディアがイラン大使館周辺に住む住民から「イラン大使館に損傷はない」という証言を得たことで、たとえサウジがイラン大使館周辺の空爆を行っていたとしても、イラン大使館に損傷を与えたわけではないという結論を導くことが可能である。

なお、万が一サウジがイラン大使館を攻撃したとしても、イエメンのハディ暫定政権は2015年10月にイランと国交を断絶しているため、外交関係に関するウィーン条約には抵触しないという立場を取ったであろう。サウジにとっては、イエメンにおいて正統性を有する政府はアデンにあるハディ暫定大統領を擁する政府である。そのハディ暫定政権がイランと国交断絶をしている以上、在サヌアのイラン大使館は非合法的な存在であり、外交関係に関するウィーン条約の適用を受けないものと認識しているはずである。(ウィーン条約上、外交使節団を置くためには接受国の承認(アグレマン)が必要である)。

一方でイランは、イエメンにおいて正統性を有する政府はサヌアにあるフーシ派とサーレハ元大統領派による政府であるとしていることから、サヌア政府の承認を受けている在サヌア・イラン大使館は合法的な存在であり、外交関係に関するウィーン条約の適用を受けるものと認識しているはずである。

今回の件は、イラン大使館に損傷が見られないことから、実際にウィーン条約上の問題になることはないだろうが、イエメン問題を考える際には、当事国がアデン政府、サヌア政府のいずれを承認しているのかという点を考慮する必要がある。アデンのハディ暫定政権はサウジをはじめとするアラブ連合国のみならず、多くの国家に承認された政府である。(在イエメンの大使館は閉鎖中であるが、日本もハディ暫定政権をイエメンの正統政府であるとしている)。現代の外交関係が相互承認によって成り立つことを考えると、サヌアのフーシ派・サーレハ元大統領派のを正統政府であるとみなすイランはやや分が悪いというのが事実である。