献血時になされる血液検査は、輸血患者に感染症を移さないために行われる。

その際新たな無症候性感染が発見された場合、献血者に通知するかどうかは大きな問題である。我が国では、献血時に通知を希望するかどうか同意を得てから通知している。だが、実際は通知の有益性が十分検討されたとはいえない。この同意もあまたのインフォームドコンセントと同様実質性を欠く空虚なものだからだ。

HTLV1すなわち成人T細胞白血病のウイルスの通知も問題点を含むものであった。本来は授乳の可能性のある妊婦でのみ通知することが献血者の利益にかなうことである。それ以上の通知は効率性から再献血を防止する目的があった。この点は、さいたま地裁で、ウイルス検査陽性の通知を受けなかった献血者が再献血時に採血副作用を発生し、通知を受けていれば副作用にあうことはなかったのと訴額500万円の訴訟において日赤側が安易に妥協したことに発する。

このとき問題となったHBc抗体、すなわちB型肝炎ウイルスのコア抗体の陽性者への全通知がこの4月始まったのは因縁を感じると同時に、大きな理念的問題である。なぜなら、HBc抗体陽性者の肝炎再発の可能性は免疫抑制療法などに伴っており、主治医がかかる療法を開始するときに患者ごとに検討すれば足りることであって、素人としての個人が通知を受けて認識しておくべき筋合いのものだはないからだ。したがってここにおいても、先の判決の呪縛が日赤に営利企業的防衛的態度をとらせていると考えざるをえない、

しかも予防接種によるHBs抗体並存者にまで通知をして再発云々をいいつのり、またその血液の感染性を論じるごときは軽率のきわみである、可能性とか恐れとは科学的蓋然性がいくらかでも存在することが前提であり、ゼロに限りなく近いものを可能性とよべば、もはや社会はなりたたない。なぜなら世界は物理的危険に満ちており、いかにそれを合理的に認識し負担するかがわれわれの生活であり、人生であるからだ。

ともあれ、知る権利と知らない権利を実質的に保障することこそボランティアである献血者の善意に答える道であると信じる