【今回の記事】
   青森・中2自殺  いじめ訴える遺書の全文

   先日、青森の中学校1年の男子生徒が自殺した矢先に、またもや起きてしまった中学生の自殺。
   以下は、遺書の全文からの抜粋である。
「家族へ。先立つ不幸を許してください。もう無理です。特別虐待があったわけでもない(中略)文章めちゃくちゃでごめんなさい。みんなに迷惑かけるし、悲しむ人も居ないかもしれないくらい生きる価値本当にないし、綺麗な死に方すらできないけど、楽しい時もありました。本当に13年間ありがとうございました。」

   この抜粋の中で最も気になったのは、
悲しむ人も居ないかもしれないくらい生きる価値本当にない
というくだりである。このくだりは、家族に向けて書かれたものである。そして、当然親に対しても向けられている。つまり、この生徒は、「親さえも悲しんでくれないくらい自分は生きる価値がない」と認識しているのである。これは、「この子供と親とが『愛の絆』で結ばれていない」、つまり「この子は親に『愛着』を持っていない」ということの現れである。
   人は、「この世の中に私を大切だと思ってくれている人が一人もいない」と感じた時、自らの命を断つ道を選ぶ。特に、いじめにあっているときは、その生徒と「愛の絆」で結ばれる友人は存在しない。しかし、そんな時でも、その子供と「愛の絆」で繋がることのできる存在が“親”なのである。親だけは、どんなときでも子どもの味方でなければいけない。先日息子が起こした事件で謝罪会見を行った女優の高畑淳子さんが言った「私はどんなことがあってもお母さんだから」という言葉は、親子の間の「愛の絆」を確認するためのものだったのである。
   なぜ、子供が「親に『愛着』しない」、つまり、「親と『愛の絆』で結ばれていると感じていない」、ということが起きるのか。親に何が足りないのか。その事は、本ブログの
愛着形成のやり直しの仕方 その2」(http://s.ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12180436474.html
をご参照ください。その中には、子供が親との間に壁を感じない子供が「親は自分の話を真剣に聞いてくれる」と感じることができるようになる支援が書かれてあります。ぜひ、ご覧ください。