ウルグアイ・コロニアデルサクラメントの居心地の良さ | すぎたびノート

すぎたびノート

約4年ほど勤めた会社を辞め、世界を旅していきます。

ブエノスディアス。すぎけんです。

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
↑↑
ランキングに参加しています。1クリックご協力お願いします。


ブエノスアイレスから日帰りでウルグアイのコロニアデルサクラメントに日帰りで行ってきました。



ウルグアイの首都はモンテビデオだが、コロニアデルサクラメントはブエノスアイレスの対岸にあり、ブエノスアイレスから高速船が出ていたので訪れてみた。今回はSEACATというフェリー会社を利用。他にも会社があったが一番条件に合うのがSEACATだった。


~ウルグアイへ行く高速船~
・COLONIA EXPRESS…最も安いが乗り場が上野山荘から遠いサンテルモ地区。日本旅館に滞在の場合はこちら。
・BUQUEBUS…乗り場はSEACATと同じサンニコラス地区。若干金額が高め。
・SEACAT…乗り場はサンニコラス地区。BUQUEBUSより安い。



チケットは日帰りの場合割安になり、僕が乗ったのは行きが8:00発で帰りが17:01発でした。金額は往復で1,014ペソ(約8,019円)でした。少々高くつくけどもう訪れる機会も無いだろうと思ったので行ってみることに。



朝7:00にフェリー乗り場に到着し、荷物検査、イミグレを通過。9時半頃に到着。





ウルグアイ・コロニアデルサクラメントはブエノスアイレスの喧騒とは程遠い静かで素朴で落ち着いた雰囲気の町。ケチャップ強盗(ケチャップをわざとかけて親切に拭いてあげるフリをして荷物を盗む南米で定番の手口)とか全く起きなさそうな平和な空気が漂っていた。







どこか建物の雰囲気が他の南米の町とは違って感じる。それもそのはずここはスペインに支配されるまではポルトガルの植民地として栄えていた歴史があるようで、当時の建物はそのまま残っているのだそう。



石畳みの道を歩くとどこか気分が落ち着くような気がします。



ポルトガルの植民地だった当時の街並みが残されているという観点から世界遺産にも指定されている。





何だか微笑ましい光景が。温かい町なんだね。







コロニアデルサクラメントはこれといって特に何か特別なものがあるわけではない。ただね、居心地の良さというのかな南米にもパタゴニアの他にこんなところがあるんだということでブエノスで気疲れしていたのが一気に吹き飛びました。日帰りにしてしまったがのんびりと何泊か滞在するのもアリな町でした。


ブエノスへの帰り際、ウルグアイについて知っていることを挙げてみたら世界的に有名なサッカー選手フォルランの出身国というぐらい。他のことは何一つ知らなかったんですね。そこで宿に帰ってアルゼンチン、ブラジルに挟まれた言わば小国のウルグアイについていろいろ調べてみたら南米の中では一位、二位を争う豊かな国のようで主な産業は農耕で輸出産業で経済を動かしているのだそう。


そんな中で特に興味深かったのが去年国民に惜しまれつつ退任した「世界で最も貧しい大統領」と呼ばれたホセ・ムヒカ大統領の話。幼少期は貧困家庭で育ち花などを売りながら家計を助けていたそう。軍事政権下でゲリラに加わり13年間もの間収監されていた壮絶な経歴の持ち主です。大統領在任中も官邸には住まずモンテビデオの郊外で質素に暮らしていたようで、収入もウルグアイの一般平均収入ほどしか手許に残さずほとんどを寄付に充てていたらしい。貧しい人や企業家の元にお金が回るようにとの理由のために。国際会議もエコノミーで移動したり他の国の飛行機に乗せてもらうようにとにかく倹約に努めていたとの逸話も残っている。


もうね、素晴らしい話ばかりが出てくる出てくる。国民のために行動するという有限実行で政治家の鑑とも言うべき存在ですね。実際のところは知らないけれどとにかく国民からの信頼は厚かったようで、コロニアしか見ていないけれどこの国の温かさや雰囲気の良さはそうした前大統領の尽力によるものが少しは影響しているのかなと思った。


某都知事とは正反対ですね笑


幸せは決してお金では計ることができないということを身に染みて感じました。


この次は再びブエノスに戻り、イグアスの滝へと移動します。