父は幸せだったのかもしれない | しるくらし。

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学校へ行かない選択。
子どもとの関わりなど。

発達や生きづらさの話しなど。

名古屋市内にて不登校の親の会を開いています。

対話、安心できる温かい場にしていきたいです。

お正月は母のところへ来ています。

 

死ぬ前にようやく家族になれた、って感じがしてる父親、

亡くなって2年半。

 

 

お正月の朝は早く目が覚めたので、

犬の散歩にひとりでウォーキング。

 

ついでに、と母の家の近所にある小さな小さな神社でお参りしました。

 

実はここは結構想い出があって、

長男が産まれたときに父と母と私と夫と産まれたばかりの長男で

お宮参りに来た神社。

 

 

 

 

それからなんとなく

「生前はつらい人生だっただろうからそっちで気楽に楽しんでやっててね」って

父に話しかけてたんだけど、

 

そん時に何かをふと感じたんですよね。

 

 

そん時にぐわぁぁぁ~~ってわいてきたのが

 

お父さんはつらい人生だったの?

って。

 

ひょっとしてとても充実して

楽しい人生だった、って

お父さんは思いながら亡くなってったのかもしれないって思ったのです。

 

それだとしたら、

父の人生のほんの一部しか知らない私が勝手に父の人生を

辛かった大変な人生だった、

なんて決めてしまうのは

 

とてもとても失礼なことじゃないか!

 

と。

 

 

父の人生がどうだったか、なんてことは

父本人にしか分からなくて、

他人が勝手に決めるなんて

とっても失礼なことをしていたなぁと思ったのです。

 

父にしかわからないことがある。

 

それはもう

父本人には聞けないけど、少なくともなんも聞いてないのに

勝手に決めてしまいたくない。

 

だから、父は自分で決めた素晴らしい人生を生きたんだ、と思うことにしたのです。

 

 

自分以外のことを勝手に決めてはいけない、

それはその人にとても失礼なことなんだなぁ、

と思ったのでした。