昨日の残りのレタス巻き
∴アーユルヴェーダ的には、タマスなモノと言えるだろな。
タマスに富んだ食べ物は、新鮮でなく、味を失い、悪臭があり、前日以前に調理された、あるいは食べ残しの不浄の食物のこと
いやいや、
んなん言うても、2日目のカレーは、美味しいやん!ってのが日本人。
アーユルヴェーダでは、結構、発酵食品もNG🙅♀️な話も聞いたことあるけど、それは、土地の問題もあるんじゃ???って
ヴァータの吹く寒い冬には、湯気と団欒の鍋🍲
なんて、土地土地に応じた柔軟性もあるはずなのにな。って。
灼熱のインド
四季のある日本
(ま、ここ数年、夏は灼熱だし、春と秋は消えつつあるけれども)
ずーっと悶々してた
かつて、マクロビフードコンシェルジュだった時代、その時のコアな先生の話が面白かった
桜沢如一が、玄米お結び🍙を持って、2週間強シベリア鉄道で、ヨーロッパに向かった時の話。
2週間
玄米お結び?🍙?(腐らんか?)
って、、、、、
『腐敗と発酵は違う』
って力説されてたのを思い出す。
そんなこんなを『チャラカの食卓』で、伊藤武さんが、スッキリさせてくださった。
食物は新鮮であればあるほどいい
たしかに、それは理想です。
しかし、一時期にだけ大量にとれる作物や魚介類もある。それらを、微生物の力を借りて発酵させ、保存食とするのも、人間の大いなる知恵です。もっとも、インドのような暑熱の地では、発酵の利よりも腐敗の害のほうが問題になることもあったかもしれませんが。
日本でアーユルヴェーダに従う方のなかには、インド人の先生がおっしゃったからといって、肉や酒類はともかく、酢やヨーグルトや納豆までも遠ざける人がいらっしゃいますが、これはいかがなものでしょうか。
アーユルヴェーダの原典である『チャラカ本集』で肯とされた食品が、現在のアーユルヴェーダでなぜ否とされるのか。その理由を深く考えていただきたい。その答えの中にこそ、アーユルヴェーダの、単なる知識ではない、真の智慧がひそんでいるように思われてなりません。
アーユルヴェーダが全人類に普遍的な「生命の科学」であることは疑いない。そして、異なる風土や風習に対応できる弾力性をも兼ね備えている
と私は信じています。
『チャラカの食卓』より引用🙏