自分自身との比較 | 少年犯罪事件史

少年犯罪事件史

2013年11月からスタートしました。少しずつ記事を書いていきます。

書籍やネットで加害少年たちの生育環境を知るうちに
胸が苦しくなります。

同情ではありません。
自分に重ねてしまい、自分がかわいそうになってしまうからです。



私自身も、殺人を犯してもおかしくないような
環境だったと思います。


もし、実行していたとしたら

「あの子の家庭環境じゃ、こうなるのも当たり前」

と、周りの人は納得していたかもしれません。


私は、運よくそうならなかっただけであって
加害少年たちとの違いは、あまりないように思います。


実際、私のきょうだいは思春期の頃に警察に
お世話になっていました。

それに振り回されていた父親を見て


「私は、他人を傷つけることはできない」と

自分を封じ込めるほうに動いてしまっただけのことです。


自分に向くか、他人に向くか、それだけの違いではないでしょうか。


他人に向けば、人を巻き込んでしまいます。

人を巻き込むことで
その人の周りまで影響を及ぼしてしまいます。

巻き込むスピードと広さはとてつもないもので

罪をつぐなったから とか
刑期を終えたから とか
賠償金を払った とか

で済むことでもなく

巻き込まれてしまった人の一生にまで
影響は及びます。

恐ろしいチカラです。


じゃあ、自分の方に怒りや悲しみが
向いていれば、周りを巻き込まないのか?


というと、そんなこともありません。


私のきょうだいは、のちに自殺しました。


他虐ののち、自虐方向にむかいました。

本人はそれですべてが終わったと
思ったかもしれませんが、そうではありませんでした。


巻き込まれた身内の私たちには、それからが地獄でした。


どちらを向いても、楽なほうには進みません。

自分が苦しい状態にあることを
分かってくれている人が、ひとりでいいので

いるか、 いないか

そこだと思っています。


だから、いくら長年懲役に行ったとしても
更生プログラムを受けたとしても

再犯を繰り返す人がいるのではないでしょうか。


効果がある人もいるだろうし
全く変わらない人もいます。

それなのに、「少年法」という
あいまいな区切りでひとつにまとめても

犯罪は減らないし、根本の改善にはならないと思います。