山口母子殺害事件とは、別件である。
犯人の山地悠紀夫は、すでに死刑が執行されており、もうこの世にはいない。
死刑と確定されたのは、この事件によってではない。母親殺害後、刑期を終えた後に犯した大阪姉妹殺人事件の裁判によってである。母親殺しの時にも一時ニュースで話題にはなったが、その時期あまりにも少年犯罪が多かったため詳しくクローズアップされなかったことと、その生い立ちと殺害の動機があまりにも悲惨であったため、時間の経過とともに薄らいでいってしまっていた。母親を殴る蹴るとした残虐な殺し方をしたにもかかわらず、当時の別の少年犯罪にうもれてしまっていたともいえる。
《当時話題となっていた少年犯罪》
豊川市主婦殺人事件
西鉄バスハイジャック事件
岡山金属バット母親殺害事件
大分一家6人殺傷事件
光市母子殺害事件
歌舞伎町ビデオ店爆破事件
※ 非常に残念なことに、これ以外にもまだ事件はある。
~~概要~~
山口県山口市で母子家庭でアパートで生活していた山地は、高校へ進学せず、就職も決まらない状態で中学卒業を迎えたが、時間を経て、市内で新聞配達のアルバイトの職を見つけた。生活は非常に苦しく、困窮していた。母親はスーパーで働いていたが浪費癖があり、山路の収入をも無断で使っているありさまだった。当然、生活保護は適用されず、水道光熱費を滞納している状態。このころ母親に再婚話がでてきて、山地は母親から直接「邪魔」「でていけ」と言われる様になる。借金のこと、母親の結婚のこと、自分の好きな女性に対しての母親からの監視など、いろいろな要因が重なっていたある日の夜、親子ケンカの時に金属バットで母親を殴り殺した。1日おいて自ら「母親を殺した」と110番通報し、緊急逮捕となった。
~~時系列~~
2000年(平成12年)
4月中旬
就職が決まらず家にいたが、知人の紹介で新聞販売店のアルバイトをするようになる。
6月
母親の借金を知り、その額の大きさに愕然とする。
7/27
仕事を無断欠勤する。
7/28
同僚が迎えに来てくれ、遅刻して仕事にはいる。母親の借金について悩んでいることを話す。
また同時期、母親の再婚話に「自分は邪魔者だから、家をでる」ということも話す。
家を出て自分でアパートを借りるために、配達量を増やし給料を上げてほしい旨を勤務先にに申し入れている。
7/29
21:00ころ、母親と口論になる。山地が好意を寄せていた女性の携帯電話に、母親が無言電話をかけていたことがわかった。それをとがめるも母親は認めず「出て行け」とまで言い出す。
頭に血が上り、その場で金属バットで母親を殴る蹴るの暴行を加えた。執拗に繰り返して殴っており、後頭部から脳が飛び出てるほどの状態であった。
その後、返り血を落とすためにシャワーを浴びており、その時に自分が射精していることを知る。(後の大阪姉妹殺害事件で検事に話した)
7/31
01:00ころ、一晩空けて、自ら110番する。山口署員が急行し、緊急逮捕となった。
8/2
弁護士との接見において「弁護士は必要ない。自分はどうなってもいい。」と発言する。
8/21
山口地検から山口家裁に送致される。
9/14
岡山の中等少年院送致となる。
山口家裁は「動機に酌量の余地があり、計画的な非行ではなく、家庭環境に大きく起因していることなどを考慮すべきだ」とし「長期間の矯正教育を受けさせるのが適当であり、年齢的に見ても矯正は充分可能」とした。
2003年10月
中等少年院仮退院。これに関しては精神科の医師が更生に疑問を呈する意見を出したが、岡山県公安委員会は許可を出していた。
2004年3月
中等少年院を本退院した。しばらく親類の家で暮らした後、パチンコ屋に住み込みで働きだす。
この頃からパチスロ機を不正操作して稼ぐ『仕事師』グループの一員になる。
2005年3月
パチンコの不正行為が発覚し、窃盗未遂容疑で逮捕され、起訴猶予となった。
つてを転々としていたが、仕事も人間関係もうまくいかず大阪に拠点を移す。
11/17
大阪姉妹殺害事件をおこす。
2007年5/31
死刑が確定する。
2009年7/28
死刑が執行される。享年25歳。
自殺サイト連続殺人事件の前上博も、同日死刑執行である。
~~生い立ち~~
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