大日本帝国、元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが死去!! | 大和山頂通信

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がんばれ ゴレイロ! がんばれ 日本!

大日本帝国最後の陸軍少尉、小野田寛郎さんが永眠されました。
まずはご冥福をお祈りいたします。


戦後グアムから帰ってきた横井庄一さんがいましたが、この方の
階級は軍曹。
ところが、フィリピンから帰られた小野田寛郎さんは、
陸軍中野学校出身の生粋の帝国軍人で階級は少尉です。

横井庄一氏の存在も平和を謳歌していた日本人には衝撃的で
申し訳なく思ったものですが、
小野田寛郎氏は「陛下からお預かりした銃剣を錆びさせた」
と批判的に意見しておられました。

この世で最も戦争を長く戦い戦争を熟知している人
その人が靖国参拝を強く求めていた、という現実
忘れるべきじゃないでしょう。

日本に帰国

まっさきに部下の墓参り

総理大臣が慰問金を渡す

拒否

どうしてもというから受け取り全額靖国神社に寄付

するとマスコミが軍国主義の亡霊と批判

実家周りをマスコミが取り囲む

いやになってブラジルに移住
 

さらに話題の従軍慰安婦についても語っておられます。
軍人であった小野田少尉の言うことが真実だってことですよ。


ソース スポニチ
太平洋戦争の終戦を知らずにフィリピン・ルバング島で
30年間過ごした元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが
死去したことが16日、分かった。
91歳。和歌山県出身。


 死因などは不明だが、小野田さんが設立した「小野田自然塾」
(東京都中央区)関係者は スポニチ本紙の取材に
「亡くなったという連絡を受けている」と明かした。
近く、 近親者のみで密葬を営むとみられる。


 小野田さんは1942年に和歌山歩兵第61連隊に入隊。
44年にルバング島に派遣され、 情報員の任務を与えられた。
しかし、終戦を知らずジャングルに潜伏。
51年に帰国した元日本兵の証言から その存在が判明したが、
作戦解除命令がないことを理由に部下とともに山中にとどまっていた。
74年3月、捜しにきた元上官らの任務解除命令を受け、
山を下りて救出され帰国した。


 帰国後の翌75年、ブラジルに移住。原野を開拓して牧場をつくった。
84年、ルバング島での経験を生かし、たくましい青少年育成のために
「小野田自然塾」を開設。キャンプ生活を通して自然の大切さや、
目的を持って たくましく生きることなど人間の本質を教えていた。


 近年は都内で暮らし、国内各地で精力的に講演を実施。
ルバング島での体験を振り返り、
「生き続けようという目標を持っていたことで、日本に帰ることができた」
などと話していた


◆小野田 寛郎(おのだ・ひろお)1922年(大11)3月19日、男5人、
女2人の7人きょうだいの四男として和歌山県亀川村(現海南市)で
生まれる。日本帰還後に移住した ブラジルでは牧場で1800頭の
肉牛を飼育していた。
著書に「戦った 生きた ルバン島30年」(74年)。
05年、藍綬褒章を受章。