安倍元総理の判断が「いつも正しかった」と元側近の菅善首相が個人的に言うのは勝手だが、
アクマでそれは、自民党的価値観、元側近としての評価、国葬という公の場での誇大妄想的大ウソはいただけない。

フジテレビ解説委員 「安倍晋三さんのどこが国葬に値しない政治家なのか誰か教えてくれ」??


 Yahoo!ニュース・日刊ゲンダイDIGITAL 9/28(水) 14:18 
安倍氏国葬で「得をしたのは菅前首相だけ」 弔辞がSNSで大絶賛、評価うなぎ上りの想定外
【絶賛の嵐だ。27日の安倍元首相の国葬で友人代表として弔辞を読んだ菅前首相。「原稿棒読み」の印象が強く、周囲も気をもんでいたが、予想に反する“名スピーチ”に菅氏の評価はうなぎ上りである。

「あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい」

 菅氏は自ら原稿を書いたという弔辞の冒頭で安倍氏の銃撃直後、搬送先の病院に駆けつけた当時の心境をそう振り返り、「あなたならではの温かな、ほほ笑みに最後の一瞬、接することができました」と続けた。

 これが弔辞でなければ、たどたどしいオッサンの恋文のようだが、ツイッターでは《恋人に送る言葉の様に優しく、美しい》《愛しい人を失った深い深い哀しみが伝わってきてた》と高評価。訥々とした口調も《実直な部分がにじみ出てウルっとなった》なんてツイートされているから何が幸いするか分からない。

「日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ。これが、あなたの口癖でした」と“ホンマか?”と首をかしげたくなる述懐もあったが、「覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった」と涙をこらえ、声を詰まらせながら回顧。喪服姿の昭恵夫人が追悼の辞を聞きながらハンカチで涙を何度も拭う姿も相まって、菅氏に感動を伝える書き込みが続出した。

 安倍氏の読みかけの本に、ここまで読んだと端を折ったページ。マーカーペンで印をつけた箇所にあった山県有朋が盟友・伊藤博文の死を悼んだ歌「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」──「この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」というデキ過ぎた展開でも追い風は収まらない。

■紹介した本はアマゾン1位に

 菅氏が紹介した岡義武著「山県有朋」(岩波文庫)は弔辞の後、大手書店で売り切れ続出。アマゾンの売れ筋ランキングでも突如1位に躍り出て、早くも「ガースー感動効果」が表れている。

「6割の国民が反対する空虚な儀式を象徴するように、形式的で口先だけの岸田首相の弔辞の後でしたからね。多くの人々が冷ややかな目で見ていただけに、情に訴え、気持ちのこもった菅さんの弔辞は余計に良く映ったのでしょう。結局、国葬強行で得をしたのは唯一、菅さんのみ。混乱と分断を招いた岸田首相の責任が問われます」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 ここまで再評価されると、菅氏が安倍氏を銀座の焼き鳥屋で口説いたように党内から首相再登板を求める声が上がりかねない。菅氏は今後の政界を「いかにせむ」と考えているのか。】


 TBS NEWS DIG 2022年9月27日(火) 15:07
「総理、あなたの判断はいつも正しかった」安倍元総理国葬 “友人代表”菅義偉前総理の追悼の辞【弔辞全文】
【友人代表弔辞

七月の、八日でした。

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。

悔しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。

ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。――これが、あなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。

いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。


平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。

すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。

その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感いたしました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選 出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。

三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。

TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。

どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした。

私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国日本にとっての、真のリーダーでした。


衆議院 第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。

ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ


深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。

どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前 内閣総理大臣、友人代表 菅義偉】